断章355

 わたしたち人間とは何であるか? わたしたちの歴史とは? そしてわたしたちの住む世界とは?

 ここまでおおざっぱながら、人類史の99%以上を占める、およそ700万年~600万年前の遙かな過去からB.C.3000年頃までを振り返ってきた。

 人間(ヒト)は、協力・協同して捕食者や別集団と戦い続けて、生存・生殖のイバラの道を切り開いてきたのである。「定住」と農耕・牧畜の生業(なりわい)がもたらした〈余剰〉は、人口を増大させた。農耕社会の生産基盤は、土地である。治水灌漑と戦争によって、農耕地を拡大・侵掠するようになった。そのために、バンド社会、首長制社会とは質的に異なる「国家」が生まれたのである。

 

 もちろん、「古代国家」は、「脆弱で、戦争や疫病だけでなく、集中的な灌漑農業や森林破壊による洪水、土壌の塩類化などで穀物の収量が低下し、かんたんに崩壊した」(スコット)。

 また、理論的にみても、「生まれたばかりの歴史的国家(古代国家)には、一方で、国家の国家たる所以の特質、つまりは概念的に把握するべき国家の本質が、内在している。と同時に他方で、この国家の内在的本質は、未だその固有の諸契機を開花させてはいない。

 この国家の内在的本質が、本質的構造に関わる特殊的諸契機を、全面的に開花発展させるのは、近代にいたる人間社会の歴史的・世界史的な進展過程においてである」(『国家論大綱』)。

 

 地政学的に有利な位置にあったエジプトと異なり、侵攻しやすく、かつ侵攻されやすいメソポタミアでは、戦争が繰り返された。「古代国家」では、人間と家畜の集積により疫病が蔓延し、時に大きな人口喪失があったが、「古代国家」は戦争による捕虜と、奴隷貿易による大規模な奴隷の買い付けで人口減を補った。

 

 「国家の軍隊が捕虜を殺害しないのにはわけがある。それは、国家には、食料に余力があって、捕虜を食べさせることができるからである。人的にも余力があって、人員を割いて捕虜を監視し、彼らに強制労働させることができるからである。しかし、伝統的社会にとっては、これはできない相談である。それゆえ、伝統的社会の戦士たちは捕虜を生かしておかないのである。そして、伝統的社会の戦士も、敵に捕まれば殺されることがわかっているので、敵に包囲され、負け戦が明々白々になろうと、降伏だけは絶対にしない。歴史学および考古学において、国家に捕囚が囲われたことを示す最古の証拠は、約5000年前の古代メソポタミア国家にみられる事例である。彼らはまず、囚人の両眼をくり抜き、視力を奪い勝手に逃げられなくしたうえで、囚人らに糸つむぎや畑作業といった指先の感触だけでできる仕事を強制労働として課して、囚人の労働力の活用という問題を実用的に解決していたのである」(『昨日までの世界』)。