断章338

 「狩猟採集の生活の最小単位は『バンド』と呼ばれる。バンドは血縁を中心とした平均25人から35人の集団で、その周囲にやはり血縁でつながる『バンド社会』がある。

 バンド社会の『内と外』は明確に区別され、異なる社会のバンドと遭遇すると戦争になった。バンド社会には、言葉や外見、文化など『俺たち』と『奴ら』を見分けるさまざまな“しるし”があり、こうした“しるし”をもたない者は、社会のなかで居場所を与えられず生きていくことができなかった。バンド社会の内部では狩猟採集民は『平和』だったが、他のバンド社会とのあいだでは『戦争』が繰り広げられていた。

 狩猟採集民には『所有』という概念はなかった。これは、定住地をもたずつねに移動しつづけるためで、物理的にモノを蓄えることができなかったからだ。

 その代わり、狩猟採集生活では互酬性が発達した。なにかが必要なときは、それをもっている者が提供する。贈与の事実は双方に記憶され、未来のどこかで返礼するという了解があった。返礼は長期にわたって有効である。肉を分配した者は、狩りがうまくいかないときに他の誰かが自分や家族のお腹を満たしてくれると確信していられた。

 狩猟採集民のバンドでは、食物などを備蓄できないことで互酬性が発達し、『バンド社会』内を容易に移動できたことや“和を乱す”人物を排除することでリーダーのいない平等な社会になった。但し、互酬性はヒトにしかない『美徳』ではなく、備蓄できない稀少なモノを分け合った結果である。

 

 だが、こうした『平等』が理想の社会を生みだしたというわけではない。社会学者ドナルド・ドゥージンは、『平等主義とは概して野蛮な考え方である。なぜなら、社会のメンバーたちが互いに平等な立場に立とうと必死になるために、警戒心や陰謀がつねに渦巻いているからだ』と述べている。

 

 定住生活と農耕がこうした条件(環境)を大きく変えることになる。

 穀物は備蓄に適しているので、『所有』や『世襲』の概念が生まれ、より多く備蓄する者と蓄えのない者とのあいだに格差が生じた。さらに職業が分化して、食糧と引き換えに『専門性』に特化したサービスを提供できるようになった。これによって大規模な社会が成立し、文明の条件が整った。30人程度の集団では画期的なイノベーションは難しく、仮に起きたとしても他の集団に広がっていく可能性は低いが、3000人、あるいは3万人の社会では、さまざまな分野で次々とイノベーションが起きるだろう。

 分業(人によって職業が異なること)のメリットは生産性が上がるだけでなく、あまり知らないひとや、まったく見知らぬひとたちとの交流が簡素になることだ。職業が“しるし”になるからで、八百屋で買い物するときに相手が何者なのかをいちいち詮索する必要はない。カースト制はインド文化の悪弊とされるが、大規模な農耕/定住社会では、職業と身分による社会の『シンプル化』がどこでも行なわれる。米作のインドは人口密度がとくに高く、それがカースト制による効率的な社会管理を完成させたのだろうという。

 

 定住によって生まれた大きな影響のひとつが『本拠地』の概念だ。ひとびとが定住するようになってはじめて、すべてのメンバーを守る要塞が出現した。『防御機能のある本拠地は、私たち人間の核心をなすもの』となったのだ。

 定住と農耕によって階層性が生まれる。いったん階層性が成立すると、リーダーを目指してヒエラルキーを上がることだけでなく、リーダーにこびへつらい重用してもらうことも大きな利益をもたらすようになった」。

 

 ―― 上記は、橘 玲による『人はなぜ憎しみあうのか』(マーク・W・モフェット、2020)の一部紹介を再構成。