断章314

 「家族の起源」「社会の起源」「攻撃性と葛藤解決」「文化の起源」などは、まずサルに聞けである。

 

 「ヒトに最も近い類人猿には、シンボルを理解し操作する能力があり、ヒトと同じ水準でないにしても類似の思考能力がある。(中略)

 言語は、情報を共有すべき社会集団の出現と、のどの構造の変化さえ起これば、現在のチンパンジーやピグミーチンパンジーなみの認知能力で可能ということになる。

 家族の起源、複雑な道具の制作と使用の技術の伝達、右手の利き手としての確立、喉頭の位置の変化が、有節言語の出現と密接な関係があるだろう。利他行動としての情報の伝達は、親子や、兄弟姉妹、夫婦の間で芽生えるべきである。道具使用の複雑なスキルの問題がなければ、言語は必要なかっただろう。道具製作と右利きは、言語中枢が左脳にあることと関係があるだろう。まず間違いなく、言語を話し始めたのは女性であり、母親であった。かれらは左手で赤ん坊を抱き、右手では石器を使って堅果や地下茎を叩き割ったのである。こういった推測は当てずっぽうでなく、霊長類学の根拠がある。・・・チンパンジーはメスの方がオスより道具の使用に高い能率を示す。また母親のチンパンジーは、小さい赤ん坊を左腕で抱くことが多い。そして、人間の女性は男性より高い言語能力を示す」(『人間性はどこから来たか』西田 利貞)。

 

 「類人猿の食物分配は、独立個体間にも頻繁に生じ、しかも〈惜しみ〉が見られることで、多くの動物に見られる親から子への給餌行動や求愛行動の一環としての食餌行動と区別できるし、しなければならない。

 〈惜しみ〉とは、接近個体を避ける、分配反応が遅れる、少量または質的に低いものを接近個体に取らせるといった、食物保持者の『消極的態度』を示す。

 〈惜しみ〉の行動要素を人間がしたら、私たちはその人物を〈けち〉とか〈意地汚い〉とか躊躇なく評価するだろう。それは、食物を分け与えるものと考えているからである。同じく、類人猿の食物保持者は、〈惜しみながら〉、〈嫌々ながら〉相手に一部を取らせる。私たちは、その態度に何を読みとれるだろうか? その態度は少なくとも、彼らが、食物の〈価値〉がわかっていること、にもかかわらず、食物への〈欲求を断念〉していることを同時に、明瞭に示している。

 チンパンジー属の食物分配をみると、これまで考えられていた以上に、チンパンジー属の食物分配は社会学的に深い意味をもっていることが見えてくる。たとえば、食物を保持している個体の欲求の断念過程を分析的に追うことによって、欲求する自己の抑制が生じていること、欲求と分配行為の乖離から、チンパンジーボノボなりの自己の客観視や他者理解のありようを推測することができる。その結果は、動物心理学実験・人工言語訓練等で明らかにされてきたチンパンジー属の認知能力と整合するだけでなく、類人猿の実際の社会交渉がそうした認知力によっていることを裏付けるのである。

 さらに、食物分配の交渉を追っていくと、チンパンジーボノボの社会ではすでに、〈価値〉や〈所有〉や〈信頼〉がそれなりの萌芽形態で機能していると気づくし、〈欲求の断念〉が食物をコミュニケーションのメディアにすることや、逆に断念が作用しない、共同性の喜びが分配と連動する〈コムニタス的食物分配〉(引用者注:コムニタスとは、争いがなく居心地のよい集団のこと)といった、食物分配とひとくくりできない諸相のあることが明瞭になってくる。付け加えておくと、動物界の食物分配として引き合いに出される、オオカミの全員での獲物の消費には、これらいずれの特性も認められない。

 食物分配は類人猿においても、欲求する自己と他者の欲求がわかる自己との葛藤をもたらす。この〈自己の二重化〉は、〈自我意識〉にほかならない。こうして展開していくと、チンパンジーボノボの社会が萌芽的な自己の客観視や自我意識をもった者たちが作る社会であることがわかってくる」(黒田 末寿の論考を再構成)。