断章309

 戦前の日本は、欧米からの圧力に対抗し、民族・国家を守り、前進し、生き延びるために欧米に追いつくことに必死だった。アジアの大国になったが、代償は軍国主義だった。明治から大正、昭和へと続いた成功に酔い、夜郎自大になった日本のエスタブリッシュメント既得権益層)とくに軍部エリートは、対米戦争に賭けて負けた。

 まるで、「売り家と唐様で書く三代目(うりいえとからようでかくさんだいめ)」のように ―― 初代が苦心して財産を残しても、3代目にもなると初代の苦労を忘れて遊び呆け、ついに家を売りに出すほどに没落するが、その「売り家」という売り札の筆跡はしゃれた今風である ―― 。

 

 戦後の日本は、経済を復興して輸出で金を稼ぎ、アメリカのような豊かさを手に入れることに必死だった。冷戦という国際情勢にも恵まれて経済的には成功したが、代償はエコノミック・アニマルへの惑溺(わくでき)だった。そしてまたもや、日本のエスタブリッシュメントは、成功に酔って夜郎自大になって、敗北しつつある。

 

 戦前の日本では、軍による統帥権(引用者注:大日本帝国憲法下の日本における軍隊を指揮監督する最高権限)の独立により、巨大な政治現象としての戦争というものの研究を陸海軍大学が独占・秘匿していた。国民は、「国家戦略」や「防衛戦略」から疎外されていた。

 一方、戦後日本では、エコノミック・アニマルは、経済利益を優先するので、「国家」としてのプライド(誇り)や原理原則(プリンシプル)を後回しにする。また、「国家戦略」や「防衛戦略」もおろそかにされた。

 さらに、「戦後の日本では、滔々(とうとう)たるマルクス的平和論の中ではとうていそんなことをする雰囲気でもなかったし、また、教えてくれる先生もいなかった」ので、「先進国の大学で、戦略や軍事と題した講義を聞けない国は日本だけ」(『戦略的思考とは何か』岡崎 久彦)ということになった。

 そうして、日本には「戦略」がないという評価が定着したのである。「しかし、日本が自らの意思にかかわらず戦争に直面せざるをえない場合を考えておくのは、平和を望む者にとって、ごくふつうの教養の一部ではないだろうか?」(岡崎 久彦)。