断章274

 「人が生まれながらに持つ自然権の調整を通じてその成員に安全と平和を保障する機構が国家である。だが、人々が無気力である故に平和であり、隷属のみを事とする国家は国家ではない」(スピノザ)。

 

 「国民や国家について論じる事は難しい。それは、国民や国家についての一般的な理論というものを構成することがいかにも困難だというだけではなく、世界的に見ても、とりわけ先進国の知的活動分野においては、『ナショナリズム』に対する警戒感がどうしても先だってしまうからであろう。実際問題としていえば、国家や国民について論じることの困難さのかなりの原因が、あらかじめ議論を封印してしまおうとする情緒的な警戒心にある、ということは否定しがたいであろう。〈中略〉

 日本では今日においても、いまだ国家やナショナリズムについて論じることはいささかのタブーを含んでいるように見える」。

 「戦後思想の中では、しきりに民主主義、平和主義、個人の自由などが論じられた。だが奇妙なことに、民主主義がその背後に『国家』を持ち、平和主義がその背後に『力』もしくは『闘争する意志』を持ち、個人の自由がその背後に『集団の規律』を持つことはほとんど顧(かえり)みられることはなかったのである。むしろそれらは対立するものだと見なされたのである。民主主義は国家と対立するものであり、平和主義は力と対立するものであり、個人の自由は集団の規律とは対立するものだと見なされた。むろんそういう局面もある。だが、この両者が相互性と補完性を持っているとしなければ、民主主義や平和主義、個人的自由は全く実体を持たない空想的理念でしかない」。

 「グローバル化と情報化がもたらす『文化の破壊』と『国家意識の弱体化』の中で、いかにそれに抗しつつ、ナショナル・アイデンティティの意識を確保するかこそが現代の日本の課題といわねばならないであろう」(佐伯 啓思『国家についての考察』から引用・紹介)。