断章270

 日本の自称「知識人」リベラルは、人類の交雑(混血)の歴史を知ると、浅薄にも、「すべての人間は混血である。“民族”とか“国家”という区別は、無意味で、恣意的だ」とか言って、現代の“民族”“国家”を相対化(不要化)しようする。しかし、主流となった現生人類の集団に滅ぼされ、今ではDNAにしか痕跡を残していない滅亡した集団の立場に立てば(ライクはそれを「ゴースト集団」と呼ぶ)、別の教訓を引き出さなければならない。

 

 「ステップの草原地帯は、中央ヨーロッパから中国へ約8000キロにわたって延びている。5000年前より以前については、考古学的な証拠から、川の流域から離れたところには人が住んでいなかったことがわかっている。雨が少なすぎて農業ができず、動物が水を飲める場所が少なすぎて牧畜もできなかったからだ。こうした状況は、5000年前ごろにポントス・カスピ海ステップ地帯に広がったヤムナヤ文化の登場で一変する。

 ヤムナヤ文化の経済活動は羊と牛の牧畜の上に成り立っていた。この文化は、ステップとその周辺にすでににあったさまざまな文化から生まれたのだが、それらよりもはるかに効率よくステップの資源を利用している。ヨーロッパのハンガリーから中央アジアアルタイ山脈の麓まで広がり、先行した異質な要素を含む文化にあちこちで取って代わって、均一な生活様式を普及させた。

 ヤムナヤ文化の拡散を推し進めた原動力の一つは車輪の発明だった。この文化の隆盛の少なくとも数百年前に発明されたが、いったん現れるとユーラシア中にあっという間に広まったため、正確にどの地域で生まれたのかはわからない。車輪を用いた荷車は、南方の隣人、つまり黒海カスピ海の間のコーカサス地域のマイコープ文化から、ヤムナヤ文化に取り入れられたのかもしれない。ユーラシアの多くの文化と同じように、マイコープ文化にとっても車輪は非常に重要だったが、ステップ地帯の人々にとってはさらに重要な意味を持っていた。まったく新しい経済活動と文化をもたらしたからだ。

 荷車に動物をつなぐことによって、ヤムナヤの人々は水や補給物資を開けたステップまで運搬できるようになり、それまでは手が出せなかった広大な土地を利用できるようになった。もう一つの新機軸が、ステップのさらに東部でそのころ家畜化されていた馬の導入だった。馬の乗り手が1人いれば、徒歩で追うより何倍も多くの家畜を管理できるため、牧畜の効率が高まった。ヤムナヤ文化では生産性も飛躍的に向上したのだ。

 ヤムナヤ文化とともに文化の全面的な変容が始まったことは、ステップ地帯を研究する多くの考古学者にとって疑う余地のない事実だ。ステップの土地がいっそう効果的に利用されるようになるのと同時に、恒久的な住居がほぼ完全に姿を消した。ヤムナヤ文化が残した建造物はほぼすべてが墓、つまりクルガンと呼ばれる巨大な土の塚だ。クルガンには荷車と馬も一緒に埋められている場合があり、彼らの生活にとって馬が重要な存在であったことがしのばれる。車輪と馬が経済活動あまりにも大きく変えたため、人々はついに村落での生活を捨て、移動しながら暮らすようになった。古代版トレーラーハウスというわけだ」。

 「ヤムナヤ文化は、巨大な埋葬塚の建造、馬の重用や牧畜、それに、副葬品の大きなメイス(斧)に反映されるように暴力を礼賛する極めて男性中心的な文化」だったという。

 

 やがてヤムナヤの遊牧民は、新たな土地を求めて移動を開始する。

 このうち西に向かった集団が現在のヨーロッパ人の祖先だ。

 「4900~4300年前に、ステップ地帯由来のDNAをもつ人々が中央ヨーロッパ住民の少なくとも70%を占めるようになった。4500~4200年前、ステップ地帯由来のDNAをもつ人々がブリテン島住民の最大90%を占めるようになった。4500~4000年前、ステップ地帯由来のDNAをもつ人々がイベリア半島住民の最大30%を占めるようになった」。

 「古代DNAには人々の過去の移動を証明する力がある。古代DNAは、およそ4500年前にヨーロッパで大規模な集団置換が起こったことをはっきり示している」(ライク)。

 

 「ステップのDNAをもつ人々はいったいどうやって、すでに定住者のいる地域での大々的な“置換”を引き起こしたのか? 

 仮説の一つは、それまでの住人が全面的に所有権を主張していたわけではない土地を開拓して、自分たちが生活できるようにしたことである。

 別の仮説は、すでにペストへの抵抗力をつけていたステップの人々が持ち込んだペストによって免疫がなかった先住の農耕民が激減したことである。実は、ヨーロッパとステップから採取した101件の古代DNA試料から、…ペスト菌のDNAが見つかった」(『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』を抜粋・再構成)。

 

 移動してきた人間集団が、恐るべき新兵器によって、あるいは持ち込んできた未知の感染症や変異した既知の危険なウイルスによって、先住の人間集団を駆逐したり征服したことは、過ぎ去った歴史のお話ではない。コロナ禍やサイバー攻撃は、わたしたちが同じようなリスクに出会っていることを教えている。