断章262

 日本共産党と同伴者たちは、中国共産党全体主義であることを認めようとしない。なぜなら、中国が全体主義国家であることを認めてしまえば、彼らの共産主義(マルクス主義)が、最終的に失敗し敗北したことを認めることになるからである。しかし、目を閉じても得られるものはない。逆にこの現実を見る力を持たないことが今日彼らを無能な存在にしているのである。

 

 以下は、『「経済人」の終わり』最終章「未来」の抜粋・再構成である。

 「マルクス社会主義による自由と平等の実現という信条が完全に崩れた結果、すでにソ連は、自由と平等が存在しない完全否定の社会、全体主義の社会、悪しき脱経済至上主義社会への道を歩んでいる。それはドイツと同じ道である(引用者注:1939年、ドラッカー29歳のときの論考である)。

 ソ連もまた、自らの権力を正当化するために、国内および国外に仮想の敵を捏造しなければならなくなった。すでにソ連は、粛清開始後、ファシズム全体主義国と同じように、自ら捏造した悪魔に対する聖戦下にある。ソ連が理念的にいかにドイツに近づいているかは、組織の目的化と賛美、無謬の魔性的指導者としてのスターリンへの個人崇拝に示されている。ソ連においても、ドイツと同じように、組織の目的化と個人崇拝だけが意味をもつ信仰箇条である。

 革命の理念的、社会的力学は、国内政策、外交政策のいずれに対しても、決定的な影響を与える。政治、軍事、経済さえ従属的な地位に置かれる。理念的、社会的力学が決定的な要因となることこそ、社会の基本構造の変化という真の革命に顕著な特徴である。

 したがって、たとえ他のあらゆる要因が逆の方向を示したとしても、独ソ間の同盟は、ほとんど不可避のことに思われる。直ちに戦争が勃発しないかぎり、この同盟は必ず結ばれる。おそらく来年、1940年には結ばれる。万一同盟が結ばれなくとも、両国が急速に接近していくことは間違いない。(中略)

 ファシズム全体主義の脅威に対抗するための唯一の方策は、われわれ自身の社会に新しい革命的な力を呼び起こすことである。もちろん、そのような力は簡単に呼び起こせるものではない。新しい秩序を簡単に生み出す方法はない。

 西ヨーロッパの民主主義諸国は、ブルジョワ資本主義、マルクス社会主義、あるいは両者の折衷によっては、ファシズム全体主義を打ち破ることができないことを認識すべきである。それを打ち破れるのは、自由と平等の社会についての非経済的な新しい概念の確立しかない。

 一人ひとりの人間の自由と平等の実現を目指す新しい脱経済至上主義社会を生み出さないかぎり、西ヨーロッパの民主主義の下にある国自身がファシズム全体主義に陥る恐れさえある」。