断章249

 「本書は政治の書である。本書には明確な政治目的がある。自由を脅かす専制に対抗し、自由を守る意思を固めることである」。

 P・ドラッカーは、亡命後の29歳でのデビュー作『「経済人」の終わり』の「まえがき」で決然とこう宣言した。

 

 わたしは、P・ドラッカーを高く評価している。

 「西洋哲学の歴史はプラトンへの膨大な注釈にすぎない」という論断をまねて言えば、「経営学の歴史はドラッカーへの膨大な注釈にすぎない」と、後世、語られるのではないかと思うほどである。

 というのは、この厳しい競争の世界(社会)で、「国家」、「企業」や「諸団体」、また諸個人が、衰退や倒産や失業の荒波に立ち向かい生き延び発展するために、組織・運営・スキルを、あるいはイノベーションや教育(訓練)を強靭化する=マネジメントするには、ドラッカーの知見が必須だからである。

 

 『「経済人」の終わり』の1995年版(引用者注:1991年12月のソビエト連邦共産党解散を受けた全ての連邦構成共和国の主権国家としての独立、ならびに同年12月25日のソビエト連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフの辞任に伴い、ソビエト連邦が解体された出来事の後である)への「まえがき」を引用紹介する(一部省略あり)。

 

 「本書は、1939年の春アメリカで出版されるや、直ちにベストセラーとなった。イギリスではさらに大きな成功を収めた。当時政権を離れていたウィンストン・チャーチルが最初に書評を書き、激賞してくれた。その後首相になったチャーチルは、ダンケルクの撤退とフランス陥落の後、イギリス軍士官学校の卒業生に与える支給品の中に本書を加えるよう指示した(陸軍省のユーモアのある誰かによって、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』も一緒に入れられた)。

 本書は、ファシズム全体主義の起源を明らかにした世界で最初のものだった。

 本書は、1960年代にいたるまで、さらにいえば70年代に入ってからも、学者からはことさらに無視された(引用者注:この21世紀でも同じである)。

 本書は、第二次世界大戦後、政治的に認知されていた二つの説に反していた。一つは、ナチズムはドイツ人の歴史、国民性など諸々のドイツ的特質に起因する『特殊ドイツ的』現象であるとする説、もう一つは、ナチズムは『資本主義最後のあがき』であるとするマルクス社会主義者の説だった。

 これら二つの説に対し、本書は、ファシズム全体主義を、あの頃ヨーロッパに浸潤した病としてとらえた。ドイツのナチズムをその最も激しい発症とし、スターリン主義を大同小異とした。事実、反ユダヤ主義にしても、民衆のデマゴギー(扇動)や迫害として最初に顕在化したのはドイツではなくフランスにおいてだった。その一つがドレフュス事件だった。

 また本書は、『大衆の絶望』をもたらし、大衆をファシズム全体主義デマゴギー悪魔学の犠牲にした直接の原因は、ブルジョワ資本主義の失敗よりも、教義および救世主としてのマルクス社会主義の失敗だったとした。しかし本書が第二次世界大戦後の学会の流れに反していた原因は、もう一つあった。そちらの方こそ重要だった。なぜならば、その状況は今日もなお存在しているからである。

 ある者は、社会現象を政治や経済の事件として扱う。すなわち、戦闘、軍事力、条約、政治家、選挙、国民所得統計として扱う。

 あるいはある者は、社会現象を思想体系としての『イズム』との関係においてのみ説明する。

 しかしこれら二つの方法は、それ自体いかに正しくとも、それだけでは十分でない。第三の方法が必要である。社会現象には、社会そのものの分析が必要である。社会における緊張、圧力、潮流、転換、変動の分析である。この方法こそ、そもそも社会学がとるべきアプローチであり、すでに19世紀初めに明らかにされたものだったのではあるまいか。

 本書は特異な動物たる人間の環境として社会をとらえる。通常、学者たちが扱う歴史なるものは人間環境の表層で生起する個々の事件にすぎない。他方、哲学体系としてのイズムは人間環境を包む大気である。しかるに、社会とは人間環境の生態である。

 本書は今世紀前半における最大の社会現象としてのファシズム全体主義の興隆を理解するための最初の試みである。しかも、あれから半世紀経った(引用者注:今や80年後である)今日なお、そのような試みは他に現れていない。そのことだけでも本書は十分に読むに値すると信じている」(ダイヤモンド社刊)。