断章241

 「ますます特権を増大させるわれらが特権階級は、逆説的だが、ますます欲求が満たされず、ますます貪欲になり、ますます国家に敵意を抱くようになる。

 基本的所得格差が法外な比率で増大していくような世界では、富裕者は、己の納税額が減少することを要求し、現に認められる。彼らは、ますます小さな政府、ますます数少ない公務員を望むのである。これは、もはや経済的有効性の論理ではなく、権力の力学である」(E・トッド)

 

〈以下の引用は長文ですが、読むに値する論考です〉

 「日本経済の未来について、経済団体(経営者団体)や有名企業経営者がその予想、改革への提言を行うことは何ら珍しいことではない。様々な競争を勝ち残ってきた経済人の示す経済問題への洞察から学ぶべきことも少なくないだろう。

 しかし、『経済人の経済問題への提言』がマクロの経済環境に及ぶと、その妥当性が急速に下がるという例は少なくない。過日リリースされた『日経ビジネス電子版』における柳井 正 (ファーストリテーリング代表取締役)氏へのインタビュー『目覚めるニッポン~柳井正氏の怒り。このままでは日本は滅びる』においても、経営者がマクロ経済を語る際に陥りがちな誤解が典型的に表れている。

 組織論や精神論が中心の日本論ではあるが、そのなかで示されるマクロ経済に関する特徴的な提言が、『まずは国の歳出を半分にして、公務員などの人員数も半分にする。それを2年間で実行するぐらいの荒療治をしないと』である。しかし、氏が憂慮する日本国は海外に比べてそんなに歳出が大きく、公務員の多い国なのだろうか。

 OECDのなかで比較が容易な30か国内で、日本の中央政府・地方政府あわせた政府総支出の対GDP比は24位(39%)と下位に位置する。ちなみに米国は25位(37.8%)と日本よりも財政規模は小さいものの、大きな差はない。比較範囲で政府支出対GDP比が最も低いアイルランドにおいても28.8%と日本の半分まではいかないようだ。財政規模が大きいことが経済停滞の原因であるならば、日本よりも財政規模の大きいほとんどの国はどうなってしまうのだろう。

 日本の財政支出には無駄遣いが多いからだ ―― と思われるかもしれないが、これも事実とは異なる。日本の財政支出のうち、最大の項目は社会保障支出である。社会保障支出を『無駄遣い』ととらえることは一般的ではないだろう。社会保障費以外の政府支出の対GDP比では、29位(15.4%)と30位のアイルランド(13.2%)並である。現時点で日本の財政規模が大きいと主張するのは困難である。

 公務員削減についても、ごく簡単なデータから否定できる。雇用者全体に占める一般政府雇用者比率は5.9%とOECD諸国の中で最も低い値である。ちなみにOECD諸国の同比率の平均は18.1%であり、日本は突出して公務員比率の低い国であることがわかる。

 これらについては、防衛関連職員の少なさや郵政民営化に伴う郵便局員の非公務員化が影響しているという見方、さらには政府関連企業の雇用を含めれば日本はまだまだ公務員が多い国だとの反論もあるだろう。

 『世界価値観調査』では勤務先に関する質問が含まれている。そのなかで、自分が『公的機関で働いている』と答えた人の割合 ―― 制度上の定義ではなく自己認識によるデータを見ると、日本は10.7%と調査対象58国中57番目となっている。日本よりその割合が低いのはモロッコ(10.4%)のみだ。

 あまりにも事実を無視した見解であるにもかかわらず、『政府支出が大きすぎる』、『公務員の数が多すぎる』という主張は人々の感情に訴えかける力がある。国際比較上日本がいかに小さな政府で公務員数が少なかったとしても、節約すること、費用を抑えることはよいことに違いないという素朴な直感の影響も小さくないだろう。

 しかし、この直感がいつでも正しいとは限らない。この直感的な理解の問題点を探ると、経済人のマクロ経済への提言がなぜ誤るのかを理解することができる。

 経済に関する問題を考える際には、今直面している問題がオープン・システム問題であるのか、クローズド・システム問題であるのかに注意しなければならない。

 オープン・システム問題とは、課題となっている対象に『外部』がある問題だ。例えば、企業が成績の振るわない従業員を解雇し、不要不急の費用を節約すると ―― 少なくとも短期的には利益は増加するだろう。企業は業績を圧迫している要因を『企業の外に出す』ことが可能である。企業に関する問題は、それがいかに大きな企業であれオープン・システムの問題なのである。

 一方で、このようなリストラ策は日本経済のための施策として妥当なものだろうか。ある企業を解雇されたとしても、その当事者が日本国民でなくなるわけではない。彼らが生活をする費用は、本人による貯蓄の取り崩しであれ、政府による社会保障であれ、日本国内の誰かがなんらかの形で負担することになる。小野善康氏(大阪大学名誉教授)の言葉を借りるならば『日本国民をリストラすることはできない』のだ。このように、『外部』がないために『特定要因を組織の外に出す』ことができない(少なくとも困難)な問題をクローズド・システム問題という。

 例にも挙げたように、企業経営は典型的なオープン・システム問題である。その意味で、著名な経営者はオープン・システム問題に関するスペシャリストといってもよい。しかし、それをもってクローズド・システム問題についても有益な提言を行いうると考えることは難しいだろう。

 オープン・システム問題とクローズド・システム問題は全く性質が異なる。むしろ対極的ということさえできる問題である。現在の日本で財政支出の額を減じたならば、それによる需要低下によって景気は大幅に悪化する。景気の悪化は税収減を通じて、むしろ財政収支を悪化させる可能性さえある。加えて、公務員数の削減によって雇用が失われ、賃金に低下圧力が加わった場合もまた同様である。

 ボクシングのチャンピオンにカーリングの必勝法を指南してもらうことは、面白いかもしれないが、有益とはいいがたいのではないか。経営者が問題解決の提言を行うというとき、自身の経験に根差した発言を行おうとすればするほど、問題をオープン・システムとしてとらえる傾向がある。人はだれしも自身の経験から影響されずに思考することはできない。

 もっとも、経営者が財政規模の縮小や公務員の削減といったいわゆる『小さな政府』志向に向かいがちな理由はこれだけではないかもしれない。人の思考は自身の利害から絶えず影響を受けている。企業の経営者が、税負担が小さくなる『小さな政府』に魅力を覚えるのもその意味では当然なのかもしれない。

 加えて、自身のこれまでの活動を高く評価する言説には点が甘くなるのも人情だろう。有名な例であるが、『高所得者になるために必要なものは何か』と問われたとき、高所得者は『才能』『努力』、低所得者は『運』と答える傾向がある。

 税負担を最小化し、公的支出を減らし、民間の活動の重要性を説く主張は、経営者にとって直接的な利害にかかわる以上に、その活動・人生を称揚する意味でも惹かれがちになる。経済人のマクロ経済学への提言は、その人のこれまでの活躍や実績とは切り離して吟味する必要がある」(現代ビジネス・飯田 泰之)。