断章179

 人間社会には4サイクルがあり、その4つとは、「1.国難は英雄を生む 2.英雄は平和をもたらす 3.平和は弱いリーダーを生む 4.弱いリーダーは国難をもたらす」(滝澤 伯文)だそうである。どのサイクルであれ、わたしたちに必要なものは、「常在戦場」の危機意識と覚悟である。

 

 with/afterコロナの世界もまた、厳しい国家間、企業間、個人間の生存競争の世界である。

 「サイバーセキュリティー企業の米ファイア・アイによると、ベトナムハッカー集団が1月から4月にかけ中国政府にサイバー攻撃を仕掛けた。標的は中国の応急管理省と武漢市当局。最初の攻撃は1月6日だ。ベトナム新型コロナウイルスへの早い対策が奏功し、感染者300人台、死者0人にとどまる。同国だけではない。コロナ禍で迅速に動いた国には常に脅威と隣接する小国が目立つ。

 フィンランドは欧州にあって感染者を7000人台に抑え、医療崩壊も起こさなかった。同国はソ連の大軍に2度侵攻され、死闘の末に独立を保った。今も兵役が課され、多くの備蓄庫や核シェルターがある。米NT紙によると、戦後初めて備蓄庫の物資が放出され、医療機関に大量の防護服や医療用マスクが運び込まれた。

 台湾はSARS重症急性呼吸器症候群)の苦い経験に加え、情勢に敏感な同胞ネットワークを中国大陸に持つ。武漢便の検疫強化など当局が対策に踏み切ったのは昨年末に遡る。感染症対策は有事の戦術や兵たんと通ずる。こうした国には備えがあった。そして、その備えや鋭敏さは『環境の必然』が生んだ。

 コロナ対策で出遅れた日本にポストコロナへの備えはあるだろうか。新たな危機の一つに米中のデカップリングがある。中国からの企業買収の防衛などは当然のこと。難しさは『米国の脅威』への備えにある。

 中国をサプライチェーンから切り離す動きは米大統領選の行方にかかわらず続くだろう。ローテク製品は許されても最先端分野が許されないのは間違いない。問題はグレーゾーンにある。米中の間合いで『許されない範囲』はダークからライトグレーまで動き得る。しかも今は民生・軍事技術の境界が明確でない。情勢を読めずに地雷を踏めば『東芝機械ココム違反事件』のような事態も起きる。

 1987年、東芝機械が共産圏へ輸出した工作機械でソ連の潜水艦技術が進歩したとして日米の政治問題に発展した。『自国や自社の技術が軍事技術に関わる恐れはあるか。日本政府も企業もこれまであまりに鈍感だった』。国家安全保障局次長を務めた同志社大の兼原信克特別客員教授は警告する。

 日本には強い必然性がなかった事情もある。米国防総省の研究・開発・試験・評価の予算は約10兆円。巨大な市場に企業はおのずと自社技術の可能性に敏感になる。ランド研究所など技術を調査するシンクタンクにも優秀な人材が集まる。

 経済産業省が状況を調べ始めたが当初政府内に情報はなかった。財務省は5月、安保上の買収防衛へ重点審査する企業リストを公表した。これも最初は『スーパー銭湯出前館が入りパナソニックが入らない』など不可解な内容で、実態を知らない事実を露呈した。

 日本にはない日本の技術のリスト。それが『米国にあるかもしれない』と兼原氏。毎年、米国防総省の調達部門幹部が来日し、防衛省の会議を短時間で終えるとどこかに消えていく。『日本を回り技術を調査している』のが定説とされる。

 危機の到来は予感されるが、まだ切実な『環境の必然』とまではいかない。それでも悲劇は新型コロナのように突然やってくる。

 規制破りに悪意の有無は問われない。政府や企業は技術や事業を徹底して評価する仕組みが必要となる。米欧や台湾企業の動向から刻々と変わる『間合い』を探る試みも求められる。こうしたコストはムダともいえるがそもそも有事への備えは効率性と相いれない。

 『私たちはどの国よりもあらゆる事態への備えがあった』。フィンランドのマリン首相は4月末、議会演説で訴えた。

 直訳すれば備えという言葉を同国政府は『preparedness』と英訳した。単なる準備ではなく覚悟や心構えというニュアンスを持つ。ポストコロナ時代へ日本が必要としているのもこの覚悟だろう」(2020/7/19 日本経済新聞・桃井 裕理)。