断章174

 「1917年のロシア革命後、世界各地のマルクス主義者はおおむね、『社会主義の祖国(ソ連)』の、『マルクス・レーニン主義』を名乗る『スターリン主義』に帰依した。帰依者にとってソ連に君臨する最高指導者・スターリンこそ、最高のマルクス主義者であり、真理の体現者であった。

 1931年、ソ連コミンテルンでのアジア的生産様式をめぐる論争は、打ち切られた。

 アジア的生産様式論支持派のリーダーだったマジャールは、その後のソ連『大粛清』の折に処刑された。

 なので、この一連の経緯を見た帰依者たちは、アジア的生産様式を論じることを忌避しタブーとしたのである」(福本 勝清「アジア的生産様式と貢納制的生産様式」を要約・再構成)。

 

 なぜ、唐突にアジア的生産様式をめぐる議論は、打ち切られたのか?

 それは、アジア的生産様式論には、スターリン(と配下たち)を突き刺す真理の棘(とげ)が含まれていたからである。第1に、アジア的生産様式と結合した「アジア的専制国家=オリエンタル・デスポティズム」論は、当時のスターリン官僚の専制支配にとって不都合だった。第2に、スターリン官僚による1927年の中国革命の指導と敗北に関係していたからである。

 

 「アジア的共同体やアジア的生産様式が、・・・最大の意義を担ったのは、アジア(およびオリエント)の河川流域地方に治水灌漑など大規模な共同事業の必要を梃子にして建設された古代専制諸国家の場合であった」(田中 豊治)。

 「それは『人格的奴隷状態』であった。すなわち、そこでは、『土地』の『カリスマへの畏敬と同時に畏怖の念』が生じるとともに、『大規模に組織された種族本体の特性としての集団性の威力』も『それ自体が神聖不可侵の力として映る』。『良い生活』は『従順な生活』であるとする処世訓、自然の力を擬人化した神々に平伏する宗教意識などは、アジア的生産様式に特有の社会的意識形態を表現したもの」(松尾 太郎、以下同じ)。

 「アジア的生産様式の社会規範は、権利 ― 義務の体系と言うよりは、血縁的集団が醸し出す家族主義的恭順と恩情の体系として立ち現れる。それは、権利 ― 義務の体系としての社会規範に親しんだ者の眼には、人間らしい温かさをたたえたものと見える一面を備えているが、義理と人情に絡めて個人の権利主張を抑圧する視点で極めて非人間的なものである。共同体成員の側から見ると、アジア的共同体は家族主義的社会規範の体系にほかならなかった。こうした社会規範を体現する共同体の首長は畏怖の念を持って讃仰せられ、神格化される」。

 「首長が共同体を丸抱え的に支配するという構成の下では、共同体に埋没している『アジア的奴隷』が相互に社会的分業を発展させる余地は極めて小さく、作業場内の分業・協業も窒息させられている。したがって、社会的生産力の発展は極めて緩慢である。逆に、首長は専制的権力を利用して、賦役にもとづく大規模な協業(共同作業)を組織し、大規模な灌漑施設や宗教的造営物を建造する力を持っていた。そして一旦このような大規模な灌漑施設や宗教的造営物が王によって建造されると、人民の王に対する隷属性は物質的にも精神的にもいっそう強められることになる」。

 

 オリエント(アジア)の王たちは治水灌漑など大規模な公共事業の必要を梃子にして成立し、スターリン官僚は現代的重化学工業建設の必要を梃子にして成立したという相違はあるが、瓜二つの相貌だった。

 わたしたちは、そんなスターリン主義が東アジアで根深い「儒教」と結合した結果を、いま眼前にする。朝鮮民主主義人民共和国である。

 「首領様の、時に磊落(らいらく)な東洋皇帝気取りの態度・行動、大衆に指令されるヒトラー顔まけのマスゲーム、自らの彫像やパリのナポレオンのそれよりも1メートル(?)高いという平壌凱旋門ほか巨大な自己賛美のモニュメント。その尊大な威圧的トーンとヤクザ風の恫喝的な語彙(ごい)がないまぜとなった北朝鮮政府による公式的言説とりわけ核兵器を持っていることの誇示的宣伝等々。表層的印象のみではない。

 この国では自由・人権・民主主義が存在していないのみならず、社会的にも家系の履歴に理由付けられる『成分』によって国民はカースト的に分類され、職業、賃金、住宅、居住地において差別されている」(湯浅 赳男)。