断章165

 「伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、『気をつけろ! ライオンだ!』と言える動物や人類種は数多くいた。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで、『ライオンはわが部族の守護霊だ』と言う能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている」。

 「虚構のおかげで、私たちは単に物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになった。聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の『夢の時代(天地創造の時代)』の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。アリやミツバチも大勢でいっしょに働けるが、彼らのやり方は融通が利かず、近親者としかうまくいかない。オオカミやチンパンジーはアリよりもはるかに柔軟な形で力を合わせるが、少数のごく親密な個体とでなければ駄目だ。ところがサピエンスは、無数の赤の他人と著しく柔軟な形で協力できる。だからこそサピエンスが世界を支配し、アリは私たちの残り物を食べ、チンパンジーは動物園や研究室に閉じ込められているのだ」(ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』)。

 

 マルクス主義の虚構=マルクス主義の《教義》は、科学的社会主義を名乗り、労働者階級を解放し、さらに進んで全世界の被抑圧大衆を解放して、この地上に共産主義ユートピア)を建設すると豪語したけれども、宗教と同じ虚構であり《教義》だった。

 だから、マルクス主義者は、結局、権力欲と貪婪(どんらん)にすっかり飲み込まれ、彼らの権力は絶対的な全体主義支配になり、彼らが支配する土地は不毛で戦慄すべきディストピアと化したのである(ついでに言えば、自称「知識人」リベラルが担ぎまわる「世界市民」や「東アジア共同体」なども空理空論であり、夢想である)。

 

 「中国には3つの独裁があります。第1に指導者による独裁。毛沢東をその典型として、鄧小平、習近平といった個人に、極度の権力集中が起こり、他を排除しようとする。

 ・・・次に中国共産党による独裁です。・・・それが国民生活の隅々まで把握し。一元的に管理しようとする傾向を強く持っていることです。現在、アリババやテンセントなど中国のIT企業は『信用スコア』サービスに力を入れています。・・・『信用スコア』サービスは、共産党独裁をますます強化させる側面を持っているのです。

 3つ目は、漢民族による独裁です。・・・中国では『黄河中華民族のゆりかご』といった表現にあらわれているように、漢民族の歴史と文明こそが『中華民族』の基礎と位置付けられています。そのため、中国で実際に行われていることは、漢民族への政治的・文化的同化であり、少数民族の土地に漢民族を大量に移住させ、少数民族を強制的に漢民族支配下に置くことに過ぎません」(楊 海英『独裁の中国現代史』から抜粋)。

 

 楊 海英は、中国人の大多数が抱いている「セルフ・イメージ」について、次のように語る。

 「国内的には、多少の紆余曲折はあったとしても、人民は幸せに暮らしてきた。だから中国共産党による政治は間違っていない。大躍進や文化大革命など一部には誤りもあったかもしれないが、共産党の指導者たちはそれも修正してきた。国際的には、中国は平和を愛好する国家であり、侵略や暴力と無縁である。他国との間にトラブルが生じたとしても、その原因は相手側にあって、自国と自国民にはなんら非はない」。

 

 楊 海英は言う。「中国=漢民族を世界の中心とみなす」中華思想、「極端な自文化中心主義ゆえに、中国人は自らの歪みを認識できないのです」と。