断章116

 中国共産党言論統制を記憶するための記録。

 「17年前の2003年、中国で重症急性呼吸器症候群SARS)が猛威を振るっていた時、2人の医師が、この危機と闘う英雄として注目された。

 当時、半ば引退していた軍医の蒋彦永氏は、SARS流行の情報を当局が隠蔽していると暴露した。もう一人の医師、鐘南山氏はSARSを引き起こすウイルスの発見者として名をはせた。

 数カ月のうちに、蒋氏の名前はすべての公式記録から削除された。中国共産党にはっきり物を言い過ぎる人物と見なされたからだ。しかし鐘氏は新型コロナウイルスの拡大を防ごうとする取り組みの最前線に立つ専門家として、再び注目されている。

 この2人の医師の運命の明暗を分けたのは、国家にとって重要な出来事の解釈を厳格に統制しようとする中国指導者の姿勢だ。感染症の流行のように社会の安定を脅かすような危機においては、取り締まりの動きが特に顕著となる。

 都合の悪い情報を隠そうとする傾向は、習近平指導部になってから強まった。習氏は2013年に国家主席の地位について以来、権力を自らの手に集中させてきた。

 『蒋医師のような内部告発者は(支配者にとって)面倒な存在だ。彼らの勇敢な行動で組織的な問題が明らかになるからだ。蒋氏の場合、SARS流行の規模を隠そうとする大々的な隠蔽工作だった』と米ミシガン大学中国研究センター所長のメアリー・ギャラガー氏は言う。

 2003年の初め頃まで、北京で公式に報告されたSARSの患者数は数人にすぎなかった。しかし4月9日、情報の隠蔽が明らかになる。北京の軍の病院ではSARSによる死亡例が6件、その他の感染例が60件あったとする書簡を蒋医師がリークしたと海外メディアが報じたのだ。

 リークによって、急増しつつあるSARS感染例を政府が隠そうとしていたことが表面化した。中国政府は感染症の実態が明るみに出ることを妨げようとしていたことを最終的に認めざるを得なくなった。SARSはその後、世界的に大流行した。

 蒋医師は一時、国営メディアから英雄扱いされたが、2003年5月までにすでに外国メディアの取材に応じることを禁じられたと当時フィナンシャル・タイムズは報じた。当局は同氏が余計なことを話しすぎると懸念したのだ。フィナンシャル・タイムズは先週、88歳の同医師の自宅に電話したが、取材は受けられないと言われた。

 『政府が批判を受け入れる余地は非常に限られている』。米ジョージア州立大学のグローバル情報研究センター所長のマリア・レプニコワ氏はこう語る。『危機が予想よりも大きそうならこうした余地はさらに狭まり、プロパガンダが幅をきかすようになるかもしれない』。

 一方、鐘氏が述べたことは政府にとってずっと扱いやすかった。国営メディアによると2003年4月、鐘氏の研究チームはSARSウイルスを分離し、特定することに成功した。SARSの流行はその数カ月前に広東省から始まっていたが、ウイルスの発見によって同省での患者の治療が大きく改善した。国内メディアは、同氏のことを倒れるまで仕事を続ける『白衣の戦士』だとたたえた。

 鐘氏は中国の医療部門で順調に出世し、最近では、国家衛生健康委員会による新型コロナウイルスの研究を支援する専門家チームのトップに任命された。

 1月20日中国共産党は鐘氏に事態の深刻さを初めて明らかにさせ、同氏が再び脚光を浴びるようにした。鐘氏は国営テレビで、湖北省武漢市で急激に広がった新型肺炎が今や人から人に感染していることは間違いない、と語ったのだ。

 このニュースはウイルスの拡散に関し、重大なタイミングで報道された。その後2週間あまりで確認された感染者数は激増し、2月4日時点で中国本土だけで20348人となった。死者は425人に達し、SARSの時の死者数349人を上回った(引用者注:6日時点で中国本土の死者は563人、感染者数は2万8018人)。鐘氏という感染症研究の権威にあらかじめ患者数の急増を公式に警告させることで、中国共産党は対応が遅かったとか隠蔽を見逃していたといった批判をかわすことができた。

 鐘医師は新型コロナウイルスの拡散は来週中にピークを迎えるとみているが、これは著名な医学専門家の間では飛び抜けて楽観的な見通しだ。ほとんどの専門家は、感染のピークが数カ月先の4月か5月と予想している。

 感染が拡大するにつれ、内部告発しようとする者への締め付けが行われている証拠もある。インターネットで情報発信する人々はすでに1月初旬、SARSに似た今回の新型肺炎に対し、懸念を表明していた8人の医療従事者を武漢市の警察が尋問したと伝えている。

 『習政権下で醜聞の暴露や内部告発に対する寛容度は大きく低下した』と米サンフランシスコ大学ピーター・ローレンツェン准教授は指摘する。同氏はSARS流行時には存在しなかったソーシャルメディアが、中国共産党の情報統制には恒常的な脅威になっていると話す。

 『私がみるところ、習氏だけではなく共産党はすでに、内部告発による情報や統治の改善といった利点より、一党支配の安定性や正当性が潜在的に脅かされる影響の方が大きいと判断したようだ』。

 蒋医師の功績は、中国の公式記録から徐々に消えている。2004年、同医師は首相に公開書簡を送り、1989年6月に1000人以上の犠牲者を出した天安門事件を再調査するように求めた。この書簡のために蒋医師は短期間拘束され、首都北京では永久に顧みられない存在となってしまった。

 新華社通信など国営メディアのサイトで蒋医師の名前を検索しても見つからない。『政府が(同氏の)記録をネット上から抹消しようと非常に活発に動いているのが分かる』とエリザベス・ブルナー氏は言う。同氏には『中国における環境行動主義、ソーシャルメディア、抗議』(邦訳未刊)という著書がある。『こうした出来事や人々についての言及は増えてしかるべきだが、それらの記録は消されつつある』と同氏は述べた」(2020年2月4日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版)。

 

【補】

 「中国の著名学者ら少なくとも50人以上が11日までに、当局が新型肺炎に関する情報を統制したことで感染拡大につながったとして、言論の自由を保障するよう中国政府に求める連名の声明を出した。新型コロナウイルスのまん延は『言論の自由の封殺によって引き起こされた人災だ』と非難している。

 声明は、肺炎の存在にいち早く警鐘を鳴らして当局に摘発された男性医師、李文亮さんが新型肺炎で7日に死去したことを受け、インターネット上に公開された。北京大の憲法学者、張千帆教授らが署名。『人民の知る権利が奪われた結果、数万人が肺炎に感染し、死者は千人に上った』と指摘した」(2020/02/11 共同通信)。

 

【補】

 「中国の著名人権活動家で、習近平国家主席に対し新型コロナウイルス流行を含む危機管理手腕を批判、退陣を求めていた許志永氏が15日夜、警察に拘束されていたことが分かった。友人の活動家らが17日明らかにした。

 許氏は憲政や司法の改革を訴えてきた活動家で、2012年に『新公民運動』を立ち上げた人物。友人の活動家によると、許氏は昨年12月に福建省アモイでの人権集会に参加後、身を隠していた。同氏の拘束に先立って、集会に参加していた別の4人も拘束されたという。

 米国拠点の国際人権団体『ヒューマン・ライツ・ウオッチ』の中国担当者によると、北京にいた、許氏の交際相手の女性も15日以降、連絡が取れなくなっている。

 許氏はここ数週間、新型ウイルスへの政府の対処を批判する文書を多く出し、今月4日にはウエブサイトで、習氏に辞職を要求していた。

 許氏は2014年に新公民運動での活動を理由に懲役4年の実刑判決を受け、服役した」(2020/02/17 ロイター通信)。

 

【補】

 「中国外国人記者クラブは、2日、『中国当局が記者証発行の許可を利用し、外国人記者への圧力を強めている』と非難する調査結果を発表しました。

 中国国内で外国人が記者活動をするためには、中国政府が発行する記者証が必要となります。

 通常はおよそ1年間の記者証が発行されますが、中国外国人記者クラブが特派員114人の回答をまとめた調査結果によりますと、2019年には、少なくとも12人の外国人記者が、記者証を半年以下に短くされるケースがあったということです。中国に対する批判的な記事が阻止される傾向があると指摘しています。また、80%以上の記者が、取材の妨害や嫌がらせにあったとしています。

 一方、中国外務省は、外国人記者クラブを『組織として承認したことがない』と述べ、調査結果は効力をもたないと主張しました。その上で、『中国は法にのっとって各国記者の取材や活動を支持してきた』と述べ、外国メディアは『中国の法律や報道のモラルを守らなければならない』と強調しました」(2020/03/03 TBS NEWS)。

 

【補】

 「武漢に在住する女流作家の方方(ファン・ファン)は、武漢閉鎖から54日目となる3月16日深夜に新浪ブログで、同じ作家でドイツ在住の厳歌苓が書いた文章がネットから削除されたことに触れてつぶやいた。

 『友人に転送しようと思っていたのに、もう削除された。ご承知のとおり、ここでは欺瞞に満ちた(当局の)担当者がまず文章を削除する。われわれは削除という行動に対して、茫然となっているだけ。自分がネットで書いたものはいつ、何が違法だったのか。これはいままで誰からも教わったことがなく、受け入れるしかなく、受け入れざるをえない』

 方方のような著名人物の公開日記をいとも簡単に削除するなら、普通の人々は自分のつぶやきがなぜ日常的に削除されているのか、まったく理由がわからないのは当然だ。

 国営の人民出版社傘下に月刊『人物』という雑誌がある。2020年3月号(3月8日発売)の特集は『武漢の医師』だった。その2番目の記事では、武漢中心病院救急部長の艾芬(アイ・フェン)のインタビュー記事を取り上げている。

 取材時点の同病院では200人以上の職員が新型コロナウイルスに感染し、死去した医者も数人いた。記者はなぜ新型コロナウイルスの情報をキャッチしていながら情報を発信できなかったのか、なぜあまりにもひどい代償を払ったのか、これからどうなるのかといった質問を中心に艾医師にインタビューを行い、彼女の回答を淡々と記述している。

 これは、武漢情報隠蔽を暴露したインタビューだった。

 記事の中では、武漢中心病院のトップである共産党委員会書記の名前、さらにその書記の下で働く院長の名前、言葉などは一切伏せられ、その肩書さえも触れていなかった。

 ただし、読者は記事の行間から病院上層部の権力濫用や情報隠蔽、隠蔽の代償などを読み取れる。また同記事の下にあるコメント欄を見てみると、書記の人物の背景や院長の無能さなどが赤裸々に暴かれている。

 艾医師のインタビュー記事は3月10日にネットにも掲載されたが、配信からほぼ2時間後に削除された。

 中国では新型コロナウイルスの感染拡大以降、かつてないほどのネット記事やブログの文章が大量に削除されている。国民全員がCCTVの番組で報道されているように、現状の感染対策に満足し、政府の恩恵に心より感謝するような雰囲気を作り出したいと政府は思っている。

 しかし、新型コロナウイルスによって市民の生活は確実に苦しくなった。『方方日記』で書かれているように治療も受けられないまま死んでいく市民もいるし、艾医師のインタビュー記事で明らかになったように行政の隠蔽や、多くの医療関係者の犠牲もまた事実である。

 CCTV新型コロナウイルスとの戦いに関する光の側面ばかりをクローズアップしている。だが、真に市民の共感を得ているのは、取り上げられない影の部分を伝えている『方方日記』や一部メディアの報道だ。

 ネットの記事や文章を削除すれば、ほとんどがそのまま消えていく。しかし、影響力のある記事や文章は削除されても、のちに何らかの形で復活する」(2020/3/19 東洋経済・陳 言の記事の要約)。