中国は、改革開放以後(天安門事件後の一時期を除き)、経済大国に向かって驀進してきた。驀進を可能にした財政システムは、こうだった。
「どんな案件であろうと融資は通る。新しいプロジェクトを立ち上げたい? 開発費、人件費、市場コスト、そして売れなかった製品を保管する倉庫の建設費に充てる融資をどうぞ。各種の融資の返済で首が回らない? 返済に充てるための新たな融資をどうぞ。その結果莫大な額の貸付金が焦付き、健全な経営を行う企業は減る一方だ。それでもシステムが提供する無尽蔵の安い労働力と安い信用コストのおかげで、かろうじて破綻せずに済んでいるのだ。(中略)
価格や生産体制、借金、品質、安全性、評判をまったく気にしなければ、信じられないような経済成長を遂げるのも可能だ」(ピーター・ゼイハン)。
そうして、中国はGDP世界2位に上り詰めた。だが、「輝くもの全てが金(キン)とは限らない」。単純にGDPの数字だけを見れば、誤解する。
というのは、例えば「天津市は、(引用者注:大量の水を必要とする)その都市機能を動かすために、・・・2011年10月にはイスラエルから約260億元、ドルに換算すると40億ドルかけて購入した石炭発電・淡水化脱塩プラントを完成させている。(中略)さらに天津市は、以前から行っていた天然水からの供給とリサイクルされた水の大量使用に加えて、今後は数基の脱塩プラントが必要となるはずであり、それに200億ドル以上のコストがかかると言われている。
このような支出はGDPを落ち込ませるわけではなく、むしろそれを増大させるのだ(引用者注:GDP値マジックである)」(エドワード・ルトワック)。
そして今、「中国企業が発行した社債の債務不履行が増加の一途をたどっている。2019年は11月末までで1400億元(約2兆1700億円)に達し、18年通年の1200億元強を上回り過去最高になった。業種は多岐に及び、上場企業や有力国有企業の傘下会社にも広がる。上場3500社の総負債は9月末で40兆元を超えた。債務の膨張と焦げ付きが景気の足をさらに引っ張る悪循環に陥りつつある。(中略)
習近平(シー・ジンピン)指導部が産業の過剰生産能力の削減に乗り出した16年から中国企業の債務不履行は大幅増に転じた。共産党大会があった17年こそ小幅ながら減少したが、18年以降は再び増加に歯止めがかからなくなった。
習指導部が18年に掲げたデレバレッジ(過剰債務の圧縮)による企業金融の引き締めが響いた。19年に入ると、地方政府が財政難を背景に公共事業を抑制、これに米中貿易摩擦も加わり、企業の資金繰りが一段と厳しくなっている。(中略)
中国では社債の元利払いが遅延しても銀行が運転資金を供給し続けるケースが多く、これらの企業も大半が存続している。最近は上場企業の情報開示の正確性や、モラルハザード(倫理の欠如)への懸念はこれまで以上に強まっている。
今後も中国企業の信用低下に歯止めがかからない可能性が高い。商業銀行が抱える不良債権は、予備軍といえる関注類(要注意先)債権を含めると19年9月末時点で6兆2千億元弱にのぼり、1年前に比べ11%増えた。上場企業の総負債(比較可能な3500社、金融除く)も9月末で40兆元超と1割増えている。
中国財政省は27日、インフラ整備のための地方債を前倒しで発行すると発表した。景気の過度の減速を避ける狙いとみられ、20年の発行枠のうち、1兆元をできるだけ早く発行するよう地方政府に促している。
インフラ整備は地方政府と企業が資金を出し合って事業を進める『官民パートナーシップ(PPP)』と呼ばれる仕組みを使うことが多い。地方政府、企業とも過剰債務解消の兆しは見えず、中長期的に債務返済圧力が景気を下押しするリスクが膨らんでいる」(2019/11/29 日本経済新聞)。
「輝くもの全てが金(キン)とは限らない」。
「金メッキが剥がれたのち、現れた元の姿は“経済巨人+不公平社会+パクリ文化+道徳欠如”以外の何ものでもない。中国は・・・確かに経済巨人である。だがこの巨人の足は泥でできている。なぜなら国内民意の支持をすでに失っているからだ。政府のコントロールを受けた官製メディアの賛美の声がだんだん嘘だとばれはじめ、中国政府はインターネット上で“五毛=ネットでニセの世論を形成するオンライン・コメンテーター”を雇い、すでにこの言葉は新しい英単語にもなっている。中国社会の富の分配の不公平は深刻で、87万5,000人の千万長者と5万5,000人の億万長者がいると同時に、1億3,000万人の中国人が1日5ドル以下の生活費で暮らしている。中国は世界の工場として全世界に廉価で品質の劣る商品を輸出していると同時に、知財権窃盗の悪名を全地球に馳せている。この国家の道徳水準はどの程度なのか? 最も腐敗している政府、最も信義を重んじない工場、さらに北京政府自身が認めざるを得ない医学倫理に反した人体臓器移植・・・」(何 清漣)。