断章76

 李氏朝鮮末期は、韓国の『検定版 高等学校韓国史』の「 Ⅲ 朝鮮社会の変化と西欧列強の侵略的接近」「 Ⅳ 東アジアの変化と朝鮮の近代改革運動」に該当する。すでにこの時代、欧米人が宣教師や商人、旅行者として朝鮮を訪れ、朝鮮について書いていた。今、読んでいる『朝鮮紀行』(イザベラ・バード)もそのうちのひとつである。

 『検定版 高等学校韓国史』の「 Ⅲ 」には、『隠者の国・朝鮮』(アメリカ人牧師ウィリアム・グリフィスの著書。三部構成で記述されており、第一部は古代・中世史、第二部は地理・政治・社会・文化等、第三部は近代史である。1882年初版発行)からの引用が、3カ所ある。

 『検定版 高等学校韓国史』の著者たちは、「外国人が書いた韓国史の中で最も興味深く包括的な著述として評価されている」という。しかし『隠者の国・朝鮮』は、包括的ではあっても、「英仏独蘭語などで書かれた既存書、および日中の資料に依拠して書かれたものである」(Wiki)から、李氏朝鮮末期についての史料的価値は、自ら直に見聞したイザベラ・バードの『朝鮮紀行』よりも劣るのではないだろうか。

 ウィリアムは3回も呼ばれているのに、イザベラはお呼ばれ無しである。思うに、彼女の『朝鮮紀行』は、韓国人(朝鮮人)にとって内容が《センシティブ》(時々ツイッターで見かけるアレ)すぎるからではないだろうか。韓国教科書の著者たちは、《センシティブ》すぎる『朝鮮紀行』を生徒たちから遠ざけておきたいのだ。

 

 韓国は、「対日的な場での“言論の自由”がない国」である。

 「日本の統治によって、(朝鮮)民衆は初めて文明を経験し、幸福を手に入れた」と主張して、韓国政府によって有害図書指定された『親日派のための弁明』を書いたキム・ワンソプは、故・閔妃一族からの死者に対する名誉毀損裁判で罰金刑に処せられ(閔妃の死から100余年後に!)、激しい言論弾圧にさらされた。

 今、韓国の一部で話題(らしい)『反日種族主義』という著作への“反論”を「特別寄稿シリーズ」として韓国・ハンギョレ新聞が掲載しているが、「反日民族主義団体はすでに著者たちを告訴した(韓国の“躍動する民主主義”がどう反応するか、見ものである)。

 

 さて、『検定版 高等学校韓国史』の「 Ⅲ 朝鮮社会の変化と西欧列強の侵略的接近」の“まとめ”の「重要内容4」では、「農業や商工業に近代指向の動きがあらわれ、実学思想、西学、東学などが登場した。庶民文化の発達や民衆意識の成長も、朝鮮後期の新しい動向だった」という。まったく取るに足りない変化を針小棒大に評価している。なぜなら、後に、「朝鮮のこのような内包的発展を収奪によって妨げたのが日本である」という見解につなげるためである。

 しかし、事実は隠しきれない。「重要内容4」の舌の根も乾かないうちに、「重要内容5」として、「朋党政治が勢道政治に変質して社会矛盾が拡大し、各地で農民が蜂起した。」(つまり、朋党政治という目クソから勢道政治という鼻クソになった)と言うのである。

 「 Ⅲ の7. 興宣大院君、改革を断行する」では、当時の国王の実父である興宣大院君が摂政として登場して、勢道政治を正すべく様々な改革を実施したように書いているが、実際のところは、時代錯誤な王朝政治を復活しようとした(今度は鼻クソを耳アカにかえようとした)に過ぎなかったのである。

 興宣大院君の政治が浅はかで時代錯誤なことは、「対外政策にそれは明白となる。1866年以降、カトリック教徒への大弾圧を始めた。9名のフランス人神父が処刑され、8000人以上の朝鮮人信者が惨殺された。同年、アメリカのシャーマン号が通商を求めて平壌に、またフランス軍艦が報復に江華島に向かうが、それぞれを撃退する。これが『衛正斥邪』の思想である。正(=儒教)を衛(まも)り、邪(=異教)を斥(しりぞ)ける。中華の正統たる朝鮮を正としそれ以外を邪とし、華夷秩序を守ることである。ここから『攘夷』が出る。しかし、それ以上に致命的な問題は、客観情勢を峻拒している自己中心的な世界観である」(「朝鮮史」萬 遜樹)。

 しかも、アメリカやフランスが簡単に撤退したのは、「他の戦略地域(例えば中国)に比べて緊急性と重要性を優先的には感じていなかったからである」(同書)にもかかわらず、朝鮮の軍事的実力で撃退したと勘違いしたのである。

 その時代錯誤な政治は、内政においても馬脚をあらわし、興宣大院君は、焼失した景福宮を再建して王朝の権威を示そうとした。「これには、莫大な資金が必要になるので、願納銭や特別税を課し強制徴収して、毎日庶民を数万人動員して造らせ、人夫の為に、俳優、歌手、妓生などを呼んで慰問した。(中略)都城4大門を通過する際に通行料を取り、庶民からは、寄付金を出させ、當百銭などの貨幣を鋳造して、建設費を調達した。また材木などの材料は各所の霊園の木を伐採するなどした。・・・大院君は国家的権威の再建を徹底的に進めたが、その裏では、租税を横領したり、不当に税を課したり、売官売職などの貪官汚吏が蔓延り、當百銭は悪質貨幣になってしまった」(Wiki)。

 “改革を断行した”はずが、完全に元の木阿弥だった。

 

【参考】

 「朝鮮に対する日本の修好(開国)要求国書は、(朝鮮の)『華夷秩序』をはみ出す形式であるが故に拒否された。中国のみを『皇帝』とする華夷秩序では『天皇』は『日王』であったのだ。『日王』という呼称は、『華夷秩序』とは無縁なはずの戦後も、そして表音文字ハングルが全盛となり『皇』の漢字を気にすることのない現在でも一部で続けられている」(「朝鮮史」萬 遜樹)。