断章73

 李氏朝鮮末期の朝鮮を旅したイザベラ・バード(イギリス人女性旅行作家)は、『朝鮮紀行』で、漢江流域などの朝鮮の鮮やかな自然、それとコントラストをなす朝鮮の政治・社会を描いている。

 

 序章にいう。「(1876年の)開国の10年前に朝鮮国王は宗主国である清の皇帝に対し『教育ある者は孔子と文王の教えを守り実践している』と書き送っているが、このことこそ朝鮮を正しく評価するための鍵である。

 政治、法律、教育、礼儀、社交、道徳における清の影響は大きい。これらすべての面において朝鮮はその強力な隣国の貧弱な反映にすぎない」。

 

 首都ソウルは、「商業という概念が行商人の商いに限られているこの国(引用者注:なぜなら、儒教朱子学の徹底は商業を抑圧するから)の、商業の中心地でもある。全国の商店がソウルから在庫を仕入れる。条約港から船積みされない製品はすべてソウルに集中する。ソウルは商品の一部品目を実質的に独占している大手商人ギルドの中心地であり、国内輸送を行っているポーター業ギルドの中心地である。地方行政官はソウルに別宅を持ち、一年の大半にわたり任地での業務を部下にまかせる。地主は自分の土地で地代を得てそこに住む人々から『搾り取る』が、不在地主で首都に暮らしている」。

 

 両班(朝鮮貴族)についての記述がある。

 「朝鮮の災いのもとのひとつにこの両班つまり貴族という特権階級の存在がある。両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥とはならず、妻がこっそりよその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。両班は自分ではなにも持たない。自分のキセルすらである。両班の学生は書斎から学校に行くのに自分の本すら持たない。慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、おおぜいのお供をかき集められるだけかき集めて引き連れていくことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。・・・

 非特権階級であり、年貢という重い負担をかけられているおびただしい数の民衆が、代価を払いもせずにその労働力を利用するばかりか、借金という名目のもとに無慈悲な取り立てを行う両班から過酷な圧迫を受けているのは疑いない。商人なり農民なりがある程度の穴あき銭を貯めたという評判がたてば、両班か官吏が借金を求めにくる。これは実質的に徴税であり、もしも断ろうものなら、その男はにせの負債をでっちあげられて投獄され、本人または身内の者が要求額を支払うまで毎朝、笞(ムチ)で打たれる。あるいは捕えられ、金が用意されるまで両班の家に食うや食わずで事実上監禁される。借金という名目で取り立てを装うとはまったくあっぱれな貴族であるが、しかし元金も利息も貸し主にはもどってこない。貴族は家や田畑を買う場合、その代価を支払わずにすませるのが一般的で、貴族に支払いを強制する高官などひとりもいないのである」。

 

 またハングルについて、こう記録している。

 「朝鮮の言語は2言語が入り混じっている。知識階級は会話のなかに漢語を極力まじえ、いささかでも重要な文書は漢語で記される。とはいえそれは1000年も昔の古い漢語であって、現在清で話されている言語とは発音がまるで異なっている。朝鮮文字である諺文(ハングル)は、教養とは漢籍から得られるもののみとする知識層から、まったく蔑視されている」。

 

【参考】

 「現在の世界では、漢字を使っているのは、われわれ日本人と中国人だけになってしまった。この事実は、あながち漢字を廃止してローマ字やハングルに置き換えたベトナム北朝鮮、韓国に比べて、日本や中国が遅れていることを意味しはしない。漢字を廃止した国々には、それぞれ政治的なお家の事情があったので、たとえばベトナムでは、国語そのものが中国語に非常に近い性質を持っているので、漢字の使用を続けたのでは、中国の政治・文化の影響が止めどなく流れ込んで、民族の独立さえ保てないからである。

 韓半島ともなると、もっと事情は複雑で、漢字は中国の影響ばかりでなく、日本からの影響をも助長する傾向を持つ。といってローマ字ではアメリカ文化に従属することになるし、ロシア文字ではソ連の脅威がなお恐ろしい。だから民族の独立のためには、38度線の北でも南でも、そのどれでもないハングル一本槍に変わったわけである」(岡田 英弘 1977年)。

 

【参考】

 「韓国を支配しているのは、・・・両班(高麗、李氏朝鮮で文武の官僚に任ぜられた特権的身分)の精神である。両班は、朱子学を奉じ、科挙(最高級公務員試験)に合格すると、高級官僚になる。朝鮮では、科挙を受験することができるのは、両班の子弟にかぎられていた。中国では、科挙の受験資格は、すべての人に平等に与えられていた。科挙をまた、登竜門ともいう。科挙に合格すると、そうでない人とは、竜と鯉ほどもちがってくる。それほどの科挙の受験資格が両班だけに限定されたのだから、両班は、とびぬけた特権層を形成することになった。(中略)

 たいがいの両班は、土地も支配していた。土地貴族でもあった。

 この点、中国とはちがって、ヨーロッパや日本と似ていたといえなくもない。

 ヨーロッパの貴族は、土地貴族である。国によって、土地貴族としてのありかたはいろいろとちがったが、土地貴族であることにかわりはない。そのうえ、ヨーロッパの貴族は軍事貴族であった。時代が近代に近づくにつれて、貴族の全員が軍人になったわけではないが、貴族の基調が軍人であったことにかわりはない。そのうえ、この軍人貴族は、政治権力を左右してきた。土地を支配する軍事貴族が権力を左右する。この点、幕藩体制の日本と似ている。朝鮮の両班は、軍事貴族ではなく、いわば、文民貴族であった」(小室 直樹)。

 

【参考】

 「李朝時代には、両班たる者は汗を流してはならないということが、万人の上に立つ彼らが確固として守るべき重要な一つの規範としてありました。これは単なる心得ではなく王族をふくめて厳格に守るべき制度のようなものですから、下の者としても両班にはなんとしても汗を流させないようにと大変な注意をはらったものです。・・・

 李氏朝鮮最後の国王、高宗のときのことです。あの頃はヨーロッパから宣教師や外交官がたくさん入って来ていました。あるとき高宗がアメリカ公使館を訪ねると、館庭で公使館員たちがテニスをしていました。それを見た高宗は配下の者に、『彼らはなぜあんなことをしてわざわざ自分で汗を流しているのか、どうして奴隷にやらせないのか』と言ったという有名な話があります」(『困った隣人 韓国の急所』)。