断章65

 『立ち直れない韓国』(2014年・扶桑社刊)の「はじめに」では、「韓国がしきりに日本に押し付ける、いわゆる『正しい歴史認識』は、決して真実の歴史でない。それは中華の史観と史記の捕虜(トリコ)になって振り回される以外のなにものでもなく、韓国の国是としての『歴史を立て直す』ための創作であり、ファンタジー」(4頁)だと断定している。

 

 例えば、“檀君王倹”である。

 『検定版 高等学校韓国史』には、「族長社会で最初に国家へと発展したのが古朝鮮だ。古朝鮮をたてた中心勢力は、桓雄部族と熊部族だった。二つの部族が連合して誕生した支配者・檀君王倹は、祭祀長として政治的支配者を兼ねた」と、さりげなく《史実》のように書いてある。

 韓国が、ファンタジーを《史実》のように書くのは、「朝鮮民族」の歴史は中国や日本よりも古く、今よりもはるかに広大な領土を有する「偉大な民族」であったと誇りたいためである。官製民族主義だからである。

 

 「北朝鮮」も檀君王倹を始祖とする。あからさまに、こう言っている。

「日本の荒唐無稽な建国神話によっても、やつらの国家起源年代は紀元前660年をさらに越えることはできないが、我々の檀君神話や檀君に関する記録によれば、朝鮮の建国年代は紀元前2300年まで遡る。かくして日本の歴史が朝鮮より1600年以上も短いものとなり、したがって自ずから文化もその分だけ劣ったものとなる」(1993年8月、訳・古田 博司)。

 

 岡田 英弘は、こう評している。「韓半島では、最初の歴史書三国史記』から約100年後の13世紀になって、『三国遺事』という本が書かれた。これは、一然という坊さんが書いた本だが、このなかに、檀君という朝鮮の建国の王の神話があらわれてくる。この檀君は、天帝の息子で、それが地上に天下って、中国神話の帝堯と同時代に朝鮮に君臨し、1500年間在位して、1908歳の長寿を保ったということになっている。ご記憶の方もあるかと思うのだが、北朝鮮金日成主席は、1994年7月8日に死んだ。その直前、この檀君の墓が北朝鮮で発見されたという報道があった。墓のなかには、身長が3メートルぐらいで、玉のように白くて美しい、巨大な人骨があったという。当時、朝鮮民主主義人民共和国が国力を傾けて、莫大な金をかけて檀君陵を建造したが、陵ができ上るのとほとんど同時に、金日成が死んでしまった。なぜ、神話中の登場人物である、檀君の遺骨をわざわざ見つけたか。それは北朝鮮の国是である主体思想のせいなのだ。朝鮮の起源は、中国に匹敵するぐらい古い。しかも、中国文明とは無関係に成立していたんだ、ということを言いたいがために、そういうものをつくったのだ」(Wiki)。

 

 韓国も「北朝鮮」も今は“檀君王倹”をかつぎ祀っているが、中国への“事大主義”を続けていれば、やがては中国から厳しく咎められ、“檀君王倹”をコッソリ教科書から消すはめになるだろう。その予兆はすでにある。

 「中国は、朝鮮戦争時に韓国軍が中共軍に勝利した戦いを記念して命名された『破虜湖』という名称を『気分が悪い』という理由で改名を要求した。そのほかにも、高句麗の将軍・楊万春(ヤン・マンチュン)と唐の太宗の戦いを題材にした韓国映画『安市城』に対し『中国の英雄を侮辱している』として抗議したといわれている。破虜湖から『安市城』に至るまで、韓民族の勝利の記録を中国側の思い通りに変えろというのだ」

 「中国の要求は、駐中韓国大使館など外交チャンネルはもちろん、江原道や華川郡など自治体にも伝えられた」(2019/5 韓国紙)。

 

【参考】

 「日本では、善意から日韓親善や日朝親善を願っている人々もいるが、それらの人にしても隣国の歴史について無知であるから、善意は衝動的なものであって、それを支える深みがまったくなく、自分を満足させるものでしかない。これはむしろ、韓国民にとっても日本国民にとっても危険である」(崔 基鎬)。

【参考】

 日韓歴史共同研究委員会のメンバーである永島広紀は、こう語っている。「韓国では“史実”として扱われている5000年前の朝鮮民族の始祖とされる檀君についても、(引用者注:韓国の学者は)オフレコでは『そんなもの誰も信じていませんよ』と軽口を叩く。しかし、記録が残る場では絶対にそんな発言はしない。対日的な場での“言論の自由”がない国なんです」(Wiki)。