断章52

 「7月15日午後、韓国の文大統領は、大統領府で主宰した首席・補佐官会議で、『日本経済に大きな被害が及ぶだろうと警告しておく』と語った」(2019/7/15 中央日報)。

 

 日本に対してつねに上から目線の「文 在寅・韓国大統領は、“北朝鮮”からの避難民の息子として生まれた。弁護士や人権運動に参加した後、ノ・ムヒョン政権で大統領側近として活躍した後、国会議員に当選し、2017年5月に大統領に当選した」(Wiki)。

 

 韓国の新聞によれば、文大統領の世評は、「正しくていい人物だ」「清く正しい印象を与える」そうである。

 「清廉の人」と呼ばれ、「人権派」弁護士として評判が良く、やがて国のトップになった人物といえば、わたしが思い出すのは、バラク・オバマではなくてマクシミリアン・ロベスピエールである(韓国でこんなことを書くと名誉棄損で訴えられる)。

 

 ロベスピエールは弁護士として、「なぜこんなにも貧しい人がいるのか。なぜ格差はなくならないのか。どうすれば、この社会を変えられるのか」と悩みながら活動していた。

 「『弱い立場、抑圧された人々、貧しい人たちを擁護する以上の崇高な仕事があるだろうか?』という言葉を残す程に、ロベスピエールという人は真っ直ぐで清廉潔白の人だった。

 ロベスピエールは、1789年に三部会議員選挙に当選する。後の恐怖政治からは想像しにくいかもしれませんが、当時の彼はギロチンによる死刑の廃止を訴えたり、自由・生命・家族の“法による保護”などを唱えていたのです。

 1793年、ロベスピエールは革命の最高責任者となります。

 政治腐敗を嫌ったロベスピエールは、そのストイックな姿勢から“腐敗しない男”とも呼ばれました。

 その後、彼は、現実から目を背け、理想だけを見つめ、脇目もふらず奔走します。その結果は、ギロチンによる恐怖政治でした」(注:神野 正史の記事を部分的に省略)。

 

 「キム・ジョンイン氏も年頭インタビューで、『(文 在寅大統領の第一印象は)正直で率直な人に見えた。ところが、最近は話の前後で言葉が変わり、自分の言葉を他人の言葉のように言う。私が文在寅大統領のことを見誤ったのか、でなければ人が変わったのか、それは分からない』と言った。

 『清く正しいという第一印象』に裏切られ、衝撃を受けたという話ばかりだ。みんな何かに取り憑かれて幻を見たのだろうか、それとも権力の味を知った歳月が人を変えたのだろうか」(朝鮮日報 2019/5/19)。

 

 「正義感と真理に対する確信が妄想と結び付き、政府の政策として執行されるとき、それは、最悪の結果を招く」(2019/5/19 ユン・ピョンジュン韓神大学教授)。

 

 ある人によれば、「日光東照宮の陽明門は、わざと1つだけ柱をさかさまにしている」そうである。「なんでも完璧すぎると魔が入りこむから」だそうな。

 

【補】

 伝聞を含んでおり、また自著を出版できない悔しさがバイアスを与えているとしても、傾聴すべきである(以下:2019/10/29 NEWSポストセブンからの要約紹介)。

 

 「文 在寅大統領は政治的目的のためなら人命をも犠牲にする人物だということを知って欲しく、日本メディアの取材を受けました」。こう語るのは脱北者で作家の李朱星(イジュソン)氏だ。

 かつて人権派弁護士として活躍した文 在寅氏は、大統領に就任してからも“公正と正義”という価値観を標榜する韓国リベラルの旗手として大統領まで上り詰めた。日韓の懸案となっている歴史問題でも、“被害者中心主義”を唱え、人権派として振る舞っている。

 そんな大統領が人命に対して冷淡であるとは、いったいどういうことなのか──。

 平壌で生を受けた李氏は貿易の仕事に就いていたが、友人の脱北を助けたために逮捕されかけ、自らも2006年に脱北。NKデザイン協会という脱北者支援団体での活動を続けながら、小説を多数発表してきた。

 「私は北朝鮮の過酷な現実を知ってもらうために小説を書き始めました。デビュー作の『ソンヒ』は脱北者の女性が中国に売られ性奴隷にされてしまう実話をもとにした小説。この作品は韓国芸術文化団体総連合会の文学大賞を受賞しました」(李氏)。

 2作目である『紫色の湖』は、韓国民主化の原点ともいえる光州事件を題材とした作品だ。李氏は光州事件北朝鮮の関連を小説で描き、同書は約1万部という韓国では異例のヒット作となった。だが、光州事件の英雄である金 大中元大統領を信奉する韓国左派陣営からは、不買運動刑事告訴を起こされるなど激しいバッシングを受けた。彼らが現在、文政権を支える勢力となっている。

 「作家として韓国で一定の評価を得ながら、現在、私の作品は出版すらままならない状況にあります。特に新しい小説では、文在寅の“ある過去”に焦点を当てたことを、出版社から問題視されたのです」(同前)。

 李氏の最新作である『殺人の品格 宿命の沼』は、実際に起きた「脱北者強制送還事件」を題材としている。

 時は2008年の盧 武鉉政権まで遡る。盧政権末期に当たるこの時期、文在寅氏は大統領秘書室長の職にあり、「盧武鉉の影法師」という異名を持つ実力者と評されていた。

 事件が起きたのは2月8日早朝だった。西海(黄海)にある延坪島付近をゴムボートで漂流していた北朝鮮住民22人が、韓国海軍に救助された。彼らは15~17歳の未成年3人を含む、親子、夫婦、叔父などのグループで、水産事業所や共同農場で働いていたとされる。

 韓国政府は救出された北朝鮮住民を、その日に板門店を通じて北朝鮮に送還する。国情院は後に「彼らはカキ漁中に遭難したもので、脱北者ではない」と明かした。

 同事件については報道が少なく、韓国内では救助や送還の事実すら知られていない状況にあった。李氏は独自に調査を進め、ある疑惑に辿りついたという。

 「私はこの事実を、文 在寅が大統領選に出馬したときに知りました。北朝鮮情報筋から、22人は漁をしていたのではなく、何らかの方法でゴムボートを入手し北朝鮮から逃げようとした脱北者だったとの情報を得たのです。ゴムボートは北朝鮮では軍しか使用できないよう規制されている。なぜかというと、軽くてスピードが出るため脱北に使われ易いからです。ゴムボートに乗っている時点で漁民ではなく、韓国軍は脱北者だと理解していたはずです」。

 この事件については、同年2月18日放送のVOAボイス・オブ・アメリカ、米政府運営の放送局)でも、次のような疑義が呈されていた。

 〈一家親戚や隣人など22人もの少なからぬ人数が一緒に船に乗っていたこと、旧正月に漁労作業に乗り出したこと、未成年が含まれたことなどから、ただの漂流ではないとの疑惑が相次いで提起されている。国情院はこれらの住民に亡命する意思をきちんと確認したのか。彼らが板門店に送られるまでに、調査時間がわずか8時間しかなかった。22人に対する調査時間としては納得しがたい〉(VOA要約)

 李氏は語気を強めて語る。

 「脱北者北朝鮮に送還するのは“殺人”に等しい行為です。実際に1か月後に、北に戻された22人は黄海・海州公設運動場で公開処刑された。銃殺刑です。私が確認したところでは、北朝鮮内の講演でも『反逆者は処刑する』と22人の処刑について語られている」。

 『殺人の品格』では、22人の処遇をめぐり、青瓦台内で交わされたという生々しいやり取りが描かれている。

 〈盧 武鉉「彼らを北に送ったら殺されるのではないか」
 文 在寅「22人の脱北は韓国政府にとって負担になる。南北関係を良くするために、それは甘受しなければいけない」〉

 左派政権の奥の院に切り込んだ同作だが、前述のように韓国内では“発禁本”として封印されてしまった。李氏が言う。

 「脱北者を北に追い返すという冷酷な決断を下したのが、当時大統領秘書室長の文在寅だった。小説で書いた文在寅の言動は、政府要職にいた人物から聞いた話であり、限りなく真実に近いやり取りです。この小説は文在寅の正体を広く知ってもらうために執筆しました。しかし、10社以上の出版社から『本を出版すると政府から制裁、弾圧を受ける』と言われ、刊行を断わられてしまいました」。

 李氏は北朝鮮で40年近く生活していた中で、人権を抑圧する政治体制に強い疑問を持った。多くの脱北者同様に“希望”を求めて韓国に渡ったものの、2017年に誕生した文政権を見ていま、絶望を覚えているという。

 「文 在寅の対北政策は、実現性のない絵空事を並べたものばかりです。南北融和というだけの空疎な考えだけで北朝鮮側に民主化や人権改善を求めるでもなく、ただ金正恩に擦り寄るだけなのです」。

 事実、文政権になってから北朝鮮の人権問題を改善させる取り組みは急速に冷え込んだ。政権発足後、韓国外交部では北朝鮮人権大使のポストの空席が続き、設立予定だった「北朝鮮人権財団」も宙に浮いたまま。韓国メディアからも「今後財団を設立する作業に真剣に取り組むとは思えない」(2018年6月15日付 朝鮮日報)と酷評されているほどだ。

 『殺人の品格』で描かれたような、脱北民に対する冷淡な仕打ちは、文 在寅政権下で現実に起きている。4月にはベトナム経由で韓国への亡命を目指していた3人の脱北者が、ベトナムで身柄を拘束され、(入国元の)中国に追い返される事件が起きた。

 「脱北者団体が韓国政府に3人の受け入れを要請したものの、韓国外交部は『待て』と言うだけで、動かなかった。今年、米国務省が公表した人権報告書でも『韓国政府は脱北者団体を抑圧している』と指摘された」(韓国人ジャーナリスト)。

 もし3人が北朝鮮に送り返されたとしたら、刑務所送りになるのは確実。最悪、『殺人の品格』で描かれたように処刑される(されている)こともあり得るだろう。

 そして今年の7月、ソウル市内で母子が餓死していることが水道検針員によって発見された。死亡していたのは脱北者のハン・ソンオク氏(42)と、キム・ドンジン(6)の親子だった。

 「脱北してきた母子は何度も役所に支援の申請をしたものの、手続きが進まず餓死したものと見られています。9月に光化門近くで開かれた追悼集会では『命懸けで脱北してきたのに餓死するなんて。統一部は誰のために存在するのか』と糾弾する声があがっていました」(ソウル特派員)。

 10月19日、餓死事件について韓国政府に対する抗議集会が開かれた。何十万人という韓国人が集まったチョ国前法相に対する抗議デモに比べると、人数こそ僅かであったが、その声は切実なものだった。自身も集会に参加していた李氏はこう訴える。

 「韓国社会のなかでも、私たちは外国人労働者以下の存在として扱われ、援助されるどころか排斥されている。政府も脱北者に対して極めて冷淡で、時には犯罪者のように扱います。母子が餓死した事件は、脱北者の過酷な現状を端的に示しているのです。同族が命をかけて亡命してきたのに、政治目的のために北に送り返す。または餓死させる。文政権の下、いかに脱北者の命が軽んじられてきたのかを、私は国際社会に訴えたい」。

 脱北者たちの悲痛な声訴を、文政権はどう聞くのか──。