断章28
わたしは、年寄りのネトウヨであるから、当然、昔語りをする。
日本共産党員は、教祖様(マルクス・エンゲルス・レーニン)や聖人たち(あるときはスターリンであり毛沢東でありチトーであり金日成であった)を尊崇する「マルクス・レーニン主義」という宗教の敬虔な教徒として、その時々の法王様(党中央)の解説どおりに経典を学習して、口移しで宣伝することが正しいことだと思い込んでいる。
「資本家は労働者を搾取している」という原則をつかんだら、後は党文献を一生懸命丸暗記して(党中央の公認の枠組みから逸脱しないように気をつけながら)受け売りすることを政治実践だと思っている。
彼らは、「マルクス主義は真理である。だから自分たちが言ったり書いたりすることに誤りはない」という宗教(自己絶対化)に転落しているのだ。
「科学的社会主義」を名乗ってはいるが、「ある国が『社会主義』を自称すれば『社会主義国』であると認めてしまう」という、とんでもなくお粗末な「観念論」であるから、つねに現実に振り回され現実から厳しく鞭打たれるのである。
しかも、それら自称「社会主義国」は、実際には「左翼全体主義」国家なのであるから、公然とであれ隠然とであれそれらの国々を擁護すれば、自ずと「科学的社会主義」を名乗りつつ「左翼全体主義」にも転落していかざるをえないのである。
「全体主義体制を採用する国家は、通常1つの個人や党派または階級によって支配され、その権威には制限が無く、公私を問わず国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を加えるように努める。
政治学では権威主義体制の極端な形とされる。通常は単なる独裁や専制とは異なり、『全体の利益を個人の利益より優先する』だけではなく、個人の私生活なども積極的または強制的に全体に従属させる。
全体主義の体制や運動は、国家が管理するマスメディアによる網羅的なプロパガンダや、しばしば一党制、計画経済、言論統制、大規模な監視、国家暴力の広範な使用などによって政治権力を維持する」(Wiki)
「ふだん中国による報道規制は徹底していて、一般の中国人は詳細な情報に接することは困難です。でも、お金に関する噂は一気に広がります。意外に庶民は実情を察するのです。
しかし、共産党が知られたくない情報は徹底的に隠蔽されます。このネット時代であっても、膨大な人員を動員して情報を隠蔽したり、削除したりしています。
こうなると、ネットを駆使する若者たちは、当初出現した情報やキーワードが削除されるのを見て、『この情報は知られたくないのだな』と推測するようです。とはいえ、自分がその情報を拡散すると、今度は自分の身が危ない。結局、沈黙します」(5/22・文春オンライン 池上 彰)。
「5月12日、天安門事件で、失脚した故・趙紫陽元総書記の政治秘書だったパオ・トン氏が、香港の民主派団体『香港市民支援愛国民主運動連合会』が主催した同事件発生30年に関するフォーラムで中国共産党を非難する声明を発表した。
パオ氏は『天安門事件に関する随筆』と題した声明で『六四(天安門事件)は過去の悪夢ではない。六四以降、あらゆる権限を持つ共産党が軍や警察を率いて、国民に暴力的な抑圧を加えている』と非難し、『中国人は人生を共産党に厳しく支配されているが、香港も同じ事態が避けられないだろう』と訴えた」(5/12 朝日新聞デジタル)。
日本共産党は、その実際のありようにおいても、政界・論壇・教壇で威勢の良かった頃には、党(教会)に批判的な人物が日本共産党に批判的なものを出版しようとすれば裏から手をまわして妨害しておきながら、「彼は間違っているから何も発表できないのだ」というウワサを流したりしていたのである。
党中央の覚えめでたい有名人にはゴマをすり、同じ党の仲間であれば誤っていても批判を控える事なかれ主義であるが、ひとたび党中央のご機嫌を損ねた者には手の平返しで罵倒するご都合主義でもある。
全体主義者が一番嫌いなことは、自分が批判されることである。
全体主義者は、「愛と素直さを失い、自分の思いのみ正しいとし、他人の意見を聞かず、他者を弾圧する」。
マルクスは、「わたしは、断じてこのたぐいの科学的社会主義者ではない」と言うだろう。
「それ自身の連関において把握された諸事実と一致しないあらゆる観念論的諸幻想は、容赦なく犠牲にしなければならない」(マルクス)のである。