断章22

 1868年の明治維新から1945年の敗戦まで70余年である。

 「国家経営の基本中の基本であり、いかなる先進国であれ例外なく従ってきた成功の方程式である富国強兵」による戦争の時代だった。

 敗戦から2019年(令和)まで、すでに70余年である。

 「愛国心」と「国防」を放擲(ホウテキ)して、身も心もアメリカに預けて、「損得勘定」「拝金主義」で突き進んできた「富国軽武装」の平和の時代だった。

 

 すでに黄昏(タソガレ)る日本であるが、西の空にはなお夕焼けの名残りがある。

 富裕層は「鼓腹撃壌」であり、庶民は「さしあたり穏やかに暮らしてゆけるならそれで良い」としている。

 中には、「王たちは 争う 一つの玉座巡って 俺たちは絶対 手を貸さない 支配者のゲームになんか 朝から夜まで 全ての時間を 生きてる意味 今感じ 愛し合いたい ・・・俺たちの王は俺たちなんだ」(『世界の王』)という人がいるかもしれないが。

 

 1791年の『海国兵談』から1868年の明治維新まで、実に70余年を必要とした。

 江戸時代、庶民の暮らしは決して楽なものではなかった。

 「(庶民は着物を)古着屋で買うのが一般的だったようです。古着をつぎはぎして大事に扱い、毎日同じものを着ていた場合が多かったようです。すり切れて穴が開けば当て布をして補い、それを何度も繰りかえして着られなくなれば、赤ん坊のおしめや雑巾にし、それがすり減って糸くずだけになるほどまで使い切ったと考えられます」(江戸時代CAMPUS)

 そんな江戸時代後期、すでに警鐘は鳴らされていたが、庶民には聞こえなかった。

 ペリー提督が、4隻の蒸気船を伴って来航するまでは。

 

 だとすれば、戦後70余年「パクス・アメリカーナ」の下で経済高度成長の成果を享受してきた現代の日本人が、「愛国心」「富国強兵」をカビ臭く古臭い「終わったもの」と見做(ミナ)しても不思議ではないのである。

 なにしろ、日本人の実感として「貧乏臭くなった平成」でさえも、「イギリス北部出身のある国会議員は、訪日した際に夜の東京をこうこうと照らすネオンや、レストランやバーの外にできた長蛇の列を見てこんな感想を述べた。『これが不況だというなら、うちの選挙区にもぜひ欲しいものだ』」(『日本、喪失と再起の物語』)というレベルらしいのである。

 

 「愛国心」「富国強兵」を復活させなければ「これからの日本が危うい」と叫ぶ声は、「ネトウヨが憂さ晴らしをしているだけ」とディスられて、虚しく消えてゆくのである。

 「日暮れて道遠し」なのである。

 

 暗く凍える長い夜が来るだろうか?

 だがその時、明日への導きとなる天空の星々が輝いて見えるに違いない。