断章226

 「新型コロナウイルスの感染拡大に関連した解雇や雇い止めの人数(見込みを含む)が初めて7万人を超えた。厚生労働省によると6日時点で7万242人に達した。雇用情勢の厳しさが改めて浮き彫りになった。

 厚生労働省が2月から全国の労働局やハローワークを通じて日々の最新状況を集計している。9月23日に6万人を超えてから、約1カ月半で1万人増えた。6月に累計で2万人を超え、以降は1カ月1万人ペースで増加してきた。増加のペースはやや鈍化している。厚労省が把握できていない事例もあるため、実際の人数はもっと多い可能性がある。ただ、解雇後の状況を逐一把握できるわけではないため、既に再就職できた人も集計に含まれている。

 4~5月は緊急事態宣言に伴う外出自粛などで宿泊業が大きな影響を受けた。夏以降は製造業で解雇・雇い止めの人数が増加している。業種別では10月30日時点で、製造業(1万2979人)が最多となった。飲食業(1万445人)や小売業(9378人)、宿泊業(8614人)の順に多い。特に非正規労働者の雇用環境が厳しい。厚労省によると新型コロナ関連の解雇・雇い止めのうち3万3千人超を非正規労働者が占める」(2020/11/09 日本経済新聞)。

 

 中国共産党のおはこ(十八番)は、「中国の特色ある社会主義」という“デタラメ”である。あっけらかんと、社会主義市場経済なんて“用語”を造語する。

 日本共産党も同類である。「市場経済といいますと、何か資本主義と同じものだと思っている方もおいでですけれども、市場経済というのは自由に商品が売買され、市場で競争し合う仕組み、体制のことです。これは資本主義に向かう道筋にもなれば、条件によっては社会主義に向かう道筋にもなりうるのです」と、いけしゃあしゃあと語る。

 「おいおい、おまえたちは、ちゃんとマルクスを読んだことがあるのか?」と突っ込んでも、なにかしら虚しい。なにしろ、この人たちは、旧・ソ連や中国を「社会主義国」(地上の楽園)だと全力で宣伝していた人たちなのだから。

 

 なぜ、差し迫った日本の雇用の危機の話題で、中国共産党の「中国の特色ある社会主義」を持ち出したのか。それは、日本の経済体制が、「日本の特色ある資本主義」とでも呼ぶべきものであるからである。

 「株式会社とは、倒産を前提に考えられた仕組みで、前提である『会社の倒産』が起これば、従業員は失業します。つまり、会社は倒産だけでなく失業も前提にしているということなのですが、日本における会社のとらえ方は違うようです。

 本来、会社というのは、『やってみないとわからないから、やってみよう』『失敗したら、次をやってみよう』という仕掛けなのですが、日本ではそのようには考えられていないのです。それはなぜかというと、日本の会社はそもそも、投資の『器』として誕生したわけではなかったからでしょう。

 日本の会社は『ムラ社会の法律的表現型』である。そのように考えれば合点がいきます。

 日本の会社が年功序列制であることも、労働市場流動性がないことも、入社以来のプロパー社員が重用され、例外はあるものの一度会社を離れると非常に条件の悪いキャリアパスを歩まないといけなくなることも、納得がいきます。『倒産』を認めない慣行も理解できます。

 日本において会社は投資の『器』ではなく、法律で表現された『ムラ』であるから、『あ、ダメでした』で済ませることはせず、社会が支えようとするのでしょう。一方で、倒産した場合は『ムラ』としての責任を取らされます。

 まず大企業の場合、しばしば政府は倒産させないように救済します。それはムラの存続にかかわる問題であり、『倒産のインパクトが大きすぎて倒産させられない』状況にあるからです」と、阪原 淳は言う。

 

 かつて小室 直樹は、「資本主義の論理は市場原理である。市場原理(market principle)とは淘汰の法則である。企業は淘汰されて破産する。労働者(経営者をも含む)は淘汰されて失業する(失業者となる)。破産と失業とは資本主義の生命(いのち)である。市場原理が作動せず、破産と失業とがなければ資本主義は死ぬ。市場原理が作動しない経済というのは、実は社会主義なのである。(中略)

 日本経済も死につつある。破産と失業の覚悟ができていないからである。資本主義における覚悟は、破産と失業である。資本主義における危機管理とは、破産と失業のときどうするか、の準備である」。ところが、「日本には、その準備がない」「とりわけ、日本の戦後教育は、こんな大事なことを教えていない」と警告した。

 

 大量失業に備え、第2第3の失業者救済策を準備し、のみならず、さらに大胆に、既得権益を、戦後教育を見直し、以ってコロナ禍を転じて福と為さなければならない。

断章225

 「新国立劇場・2019/2020演劇シーズン、シリーズ『ことぜん』の第一弾は、ロシアの作家ゴーリキーの『どん底』を上演します。この作品は我が国の演劇界において、1910年(明治43年)に『夜の宿』と題して初演されて以来、百年を経た現在でもたびたび上演され、数々の名舞台を産み出してきた名作です。母国ロシアでの初演が1902年だったことを鑑みると、そのわずか八年後の日本初演も画期的であれば、その後上演され続けてきたことも驚異的で、我が国で最も愛された海外戯曲のひとつと位置付けることも可能です」(新国立劇場HPから)。

 

 血を吐いて長期療養する生存の「どん底」。爪に火を点すような経済的「どん底」。山谷・釜ヶ崎といった「ドヤ」暮らしと大差はなかったのである。そして、日ごとにおのれの思いと隔絶していく組織(集団)との関係の「どん底」。わたしの「どん底」は、三重苦だった。

 

 現代日本の医療・福祉のおかげで生存の「どん底」を抜けた。その後に心がけていたことは、完全食品の「納豆」を食べることだった。

 その効能については、コロナ禍中にも、以下のような記事があった。

 「新型コロナは感染後、基礎疾患や高齢により悪化しやすいが、普段の栄養状態も関係すると言われている。欧州臨床栄養代謝学会(ESPEN)は早くから、新型コロナ患者のための栄養ガイドラインを提示していた。

 なかでも注目されているのは、動脈や骨の健康に欠かせないと言われるビタミンKだ。昨年くらいから健康に敏感な人たちのあいだで密かなブームとなっていたようだが、さらにこの度、オランダの医師たちがビタミンKと新型コロナ症状緩和に関連性を見出したことから、にわかに注目が集まっている。K1とK2があるが、体内吸収率のより高いK2が非常に多く含まれる納豆が特に注目されている。(中略)

 ビタミンKには血液を凝固させる作用や、骨中のカルシウムを内外に移動できる特殊なタンパク質を活性化する働きがある。(中略)ビタミンKにはK1とK2があり、K1はほうれん草や小松菜などの緑黄色野菜に多い。体内吸収率のより高いK2はチーズなどに多く含まれるが、なかでも注目されているのが納豆だ。納豆には1パック(40g)あたり約240μgものビタミンK2が含まれる。ちなみに、ドイツ栄養学会(DGE)の推奨する1日の摂取量が51歳以上の女性で約65μg、男性で80μgであることからも、その豊富さがわかるだろう。

 オランダの研究者たちは現在、臨床試験補助金の申請をしているようだが、プロジェクトを率いるロブ・ヤンセン博士はガーディアンに『私はロンドンで日本人科学者と一緒に働いたことがあるが、彼女は日本で納豆をたくさん食べる地方ではCovid-19による死者が1人も出ていないと言っていた。だから、試してみる価値はある』と述べている。

 この発言を受け、ヨーロッパでは納豆を紹介するサイトなどが増え始めている。納豆は免疫力を高めることでも知られているので、一石二鳥だ」(2020/06/23 ニューズウィーク日本語版・モーゲンスタン陽子)。

 

 爪に火を点すような経済的「どん底」は、現場仕事からセールスマンに転じて抜け出した。商売人としてのセンスが無かったので、結局、大儲けできなかった。なので、暮らしは、いまだに下級国民である。

 

 日ごとにおのれの思いと隔絶していく組織(集団)との関係の「どん底」は、抜け出すことができないだろう。

 というのは、わたしは、低学歴で(つまり高等教育での論文指導をされたりしたことがない)、読書量が少なく教養がなく、したがって視野が狭く理論的に極めて貧困である。そうした場合、わたしが属する国、あるいは政党、あるいは集団が、おのれの思うところと隔絶(あるいは乖離)していくことに対して、思想的理論的には戦うことができなかった。漸(ようや)くにして、独学を再開する機会を得たときには、もはや人生の残り時間が少ないという残念な現実。だが、まだ生きている。学び続けよう。「どん底」とかつて一度も面々相対したことのないお気楽な自称「知識人」リベラルや空想的「左翼」学者たちと戦うために。

断章224

 「歴史をみてわかるのは、宗教はいくつもの命をもち、繰り返し復活するということである。神と宗教は、過去に何度死と再生を経験したことか」(『歴史の大局を見渡す』)。

 

 例えば、キリスト教について言えば、「ローマ皇帝コンスタンティヌスキリスト教に改宗するまでの300年間に、多神教徒のローマ皇帝キリスト教徒の全般的な迫害を行ったのはわずか4回だった。地方の管理者や総督は独自に、反キリスト教の暴力をいくらか煽った。それでも、こうした迫害の犠牲者を合計したところで、この3世紀間に多神教のローマ人が殺害したキリスト教徒は数千人止まりだった。これとは対照的に、その後の1500年間に、キリスト教徒は愛と思いやりを説くこの宗教のわずかに異なる解釈を守るために、同じキリスト教徒を何百万人も殺害した。16世紀と17世紀にヨーロッパ中で猛威を振るったカトリック教徒とプロテスタント(新教徒)との宗教戦争は、とりわけ悪名が高」(『サピエンス全史』)かった。

 

 それでも、「1801年、歴史に精通したナポレオンはピウス7世と政教条約を結び、フランスとカトリック教会の関係を修復した。18世紀のイギリスは無宗教だったが、ヴィクトリア朝に入るとキリスト教と和解した。国が教会の上に立ち、教会区司祭は大地主に従属するという暗黙の了解のもと、国は国教会を支えることに同意し、知識階級は懐疑的態度を控えることにした。アメリカでは19世紀に信仰復興運動が起き、建国の父の合理主義が信仰に変わった。

 厳格主義と快楽主義(気持ちや欲望の抑圧と表出)は歴史の中で交互に生じている。一般的に法の力が弱くモラルによって社会秩序を維持しなければならないとき、宗教と厳格主義が勢いを得る。一方、法と政治が力を増し、教会、家庭、モラルの力が社会の安定を脅かさない程度に落ちるとき、懐疑主義と快楽主義が広がる。

 現在は国が力を得、信仰心とモラルが低下していることから、快楽主義が幅を利かせている。そして、おそらくこれが行き過ぎると、また別の反応が生まれるのだろう。モラルの乱れが信仰を復活させるのだ。無神論者は(1870年以降のフランスでみられたように)、子供を再びカトリック系の学校に送って信仰心を身につけさせるかもしれない」と、ウィル・デュラントは言う。

 

 朝、元気に出勤した夫が、火災現場のバックドラフトで殉職する。お友達との会食と買い物を楽しみに街に出かけた娘が、自殺の巻き添えで亡くなる。この世は、無常であり不条理である。ならば、宗教が死んでしまうことはない。

 

 では、マルクス主義はどうだろうか。

 マルクス主義もまた、「人民の敵」「帝国主義のスパイ」「反階級的脱落者」と見做(みな)した者たちを処刑して集団墓地に大量に投げ捨てたが、今日なお命脈を保っている。

 旧ソ連圏、「北朝鮮」、「ポル・ポト民主カンプチア」、「ベネズエラ」、「中国」の現実を知った後でも、「果たせなかった約束 またひとつ増えただけ それでも明日を夢見」(♪『夢の続き』)て、マルクス主義を信じ続けるインテリたちがいる。

 

 それは、第一に、宗教が人間=社会の普遍本質に根拠をもつように、マルクスの知見も現代資本制社会に根拠を置いているので、現代世界の解剖学として役立つからである(但し、解剖学を知っても手術ができるわけではない)。

 第二に、インテリは“全能の体系”を自称するイデオロギー・思想が大好きだからである。

 第三に、共産主義(地上の楽園)はインテリたちの見果てぬ夢だからである。

 

 日本のインテリは、マルクス主義の“ドグマ”によって、おのれ自らをデラシネ ―― フランス語で根なし草、転じて故郷や祖国から離れた、もしくは切り離された人を意味する ―― にした人たちである。故郷や祖国に帰る道を見失っているのだ。

 「人生でいちばん苦痛なことは、夢から醒めて、行くべき道がないこと」(魯 迅)である。だから今なお、マルクス主義に、共産主義の夢を見続けることに固執しているのである。

断章223

 「強い者、賢い者が生き残るのではない。変化できる者が生き残るのだ」(ダーウィン)。

 大事なことなので、また書きましたよ。

 

 「コロナ禍による収入減や雇用不安、テレワークの浸透などを背景に、副業を始める人が増えている。ネット上で仕事を受発注する『クラウドソーシング』大手のランサーズが2020年7~8月に行った調査では、同社サイトで副業をする人のうち約3割が『新型コロナ感染拡大が始まった2月以降に副業を始めた』と回答した。ユニ・チャームエイチ・アイ・エスなど大手企業の副業解禁が相次いだ2018年の『副業元年』から2年余り。コロナ禍を機に新たな『副業ブーム』が生まれつつある。

 北海道在住の20代男性は、今年3月にランサーズを通じてプログラミングの副業を始めた。本業の勤務先は、東証1部上場のメーカー。『以前は1カ月の残業時間が100時間になるほど忙しかったが、コロナ禍で会社の業績が悪化。人件費削減のため業務量を減らされ、余剰時間が生まれた』。さらに、テレワークの実施で通勤時間がなくなり、副業のための時間を確保することが容易になったという。

 副業では表計算ソフトのエクセルに含まれるプログラミング言語VBA』でプログラミングを行う。中小企業からの案件が主で、『エクセルの請求書と商品データを自動で紐づけてほしい』といったものが多い。本業の業務でVBAを使っていたが、『社内でVBAが使えるのは自分だけだったため、社外でもこのスキルを生かせるのではないかと考えた』。案件は月3件程度で、受注から納品にかかる時間は約5日間。副業を始めてから約8カ月間の売り上げは、累計約160万円にのぼるという。

 副業の経験を積む中で、VBA以外のプログラミング言語も習得したいと考えるようになった。そこで毎朝5時に起きて勉強し、プログラミング言語Python(パイソン)』を習得。『会社からの帰宅後は自宅でネット動画を見て過ごし、朝はギリギリの時間に起きて出社する』というコロナ前の生活が一変したという。『副業を始めて人生の選択肢が増えた。以前は今の会社であと40~50年勤め続けるしかないと思っていたが、現在はプログラミング技術を使う仕事への転職を考えている』と話す。

 都内在住の29歳の女性も副業で選択肢が増えた一人だ。コロナ前はシェアオフィス運営会社で広報として働いていたが、コロナ禍後も出社前提の働き方を変えない会社に疑問を持つようになり転職を決意。『在宅勤務を実施している会社への転職を考える上で心理的な支えとなったのが、3年ほど前から行っていた広報・PR関連の副業収入だった』。無事転職に成功し、9月からIT(情報通信)企業でマーケティング職として働く。

 副業では3社と業務委託契約を結び、広報を担当する。ニューズレターやウェブ媒体向けにPR記事を執筆するのが主な仕事だ。副業収入は月30万円程度。本業は残業しないスタンスで毎日17時に業務を終え、その後の2~3時間で副業をこなしている。『複数の会社で実績を積むことで、より多くの業界で使えるスキルを磨きたい』。

 経営環境の急速な変化を背景に、副業を解禁する企業は増加傾向にある。エン・ジャパンが運営する転職サイト『エン転職』の岡田康豊編集長によると、現在副業を認めている企業は全体の2~3割程度だが、今後数年かけて5割程度まで増加する見込み。『コロナ禍での業績悪化による社員の収入減などを受け、副業を認める会社は増えるとみている。特に、今まで副業をあまり行ってこなかった年収600万~800万円程度の層が副業を始めるようになるだろう』と岡田さんは話す。

 社員の副業を認めるだけでなく、外部の人材と業務委託契約を結び『副業として働くこと』を前提に仕事を依頼する会社も増えている。5月にはライオンがが新規事業の立ち上げなどに向けて、週1日勤務からの副業人材を公募。ダイハツ工業も9月に、週1日程度の勤務でサービスの企画などを行う副業人材の募集を行った(両社とも募集は終了)。リモートワークの推進で柔軟な働き方が可能になり、社外に優秀な人材を求める動きが生まれている。

 Zホールディングス傘下のヤフーは、7月に副業人材を100名程度募集したところ、4500人以上の申し込みがあった。採用者とは月5万~15万円程度の報酬で業務委託契約を結ぶ。『IT企業以外にも、金融業や製造業、コンサルティング業をはじめ、日本のあらゆる業種を制覇しているのではないかと思うほど多様な職業の人から応募があった』(ヤフーコーポレートPD本部長の金谷俊樹さん)。副業人材は、今後も継続的に募集していく意向だ」(2020/11/01 日本経済新聞 日経マネー・大松佳代)という。

 

 「捨てる神あれば拾う神あり」であり、「衰退する業界にも伸びる会社はある」。希望はいつも、色々なところにある。「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」(リクルートの社是)という。

 そして、国や自治体や企業は、「より多くの業界で使えるスキルを磨きたい」という声に応えなければならない。AIやロボットやICTに対応できるようになる教育制度(職業訓練)、職業(職種)転換のための補助金、企業内研修の整備拡充をしなければならない。

断章222

 「概括的にいうなら、近代とは19世紀を指し、現代とは第一次世界大戦以降の20世紀を指すと考えて大過ありません」。

 そして、「近代とは、個人がおのれの際限のない欲望に従って、おのれのもてる手段を自由に用い、他者と自由に契約することを通じて、欲望を充足し続けることが承認された時代」(『経済史』小野塚 知二)である。

 

 「わたしたちの生きている現在の社会の原型は、この近代に形成されたので、いまを知るうえで、直接的な起源となるのは近代」(小野塚)であるから、この時代を別の角度からも見てみよう。

 

 「19世紀以前には、階層間の移動の道など全くなかった。息子は父親の後を継いで農場で働き、そのほとんどが一生を作男として過ごした。娘は、持参金がなければ、家事奉公人となるほかに道はなかった。したがって、19世紀に登場した企業は解放者だった」。

 「確かに、工員や店員の生活は辛かった。賃金は安く、労働時間は長く、労働はきつく、危険だった。・・・しかし、いかに辛くても、彼らにとっては産業社会で働くことだけが階段を上る唯一の道だった」。

「当時、工員や店員から中流階級に上がっていく機会は、それほど多くなかった。しかし、それだけが下層の人たちに与えられた唯一の機会だった」(P・ドラッカー)。

 

 機会をうまく利用できた者は、小粒の「アンドリュー・カーネギー」になれることも多かったのである。

 「アンドリュー・カーネギーは、1835年にスコットランドで生まれた。当時のイギリスの織物産業は、蒸気機関を使用した工場に移りつつあり、父親の手織り職人の仕事がなくなってしまったため、1848年には両親と共にアメリカに移住した。アメリカで、13歳で初めて就いた仕事は綿織物工場でのボビンボーイ(織機を操作する女性工員にボビンを供給する係)で、1日12時間週6日働いた。後に同社オーナー専属の計算書記となった。間もなく電信配達夫となり、電信会社で昇進。1860年代には鉄道、寝台車、鉄橋、油井やぐらなどの事業を行った。最初の資産は、当時花形事業だった鉄道への投資で築いた。1870年代にはピッツバーグカーネギー鉄鋼会社を創業。1890年代には同社が世界最大で最も高収益な会社となった。事業で得た富でカーネギー・ホールなどを建てている。引退した従業員のための年金基金も創設した」(Wikipediaを抜粋・再構成)。

 

 わたしは、色んな現場仕事をし、大病したのをきっかけに戸別訪問のセールスマンになり、その業界に関係する独立自営に転じた。小商いでは事業協同組合にも関わったが、そこで多くの「社長さん」たちと知り合った。海千山千の強者(つわもの)たちが、“停滞”といわれた「平成の日本」でも、しっかり稼いでいた。若い頃の「貧乏話」をよく聞かされた。

断章221

 「19世紀末から第一次世界大戦勃発まで繁栄した第一のグローバル経済。その時期の欧米先進国は、欲望を人為的に維持する介入的自由主義によって安定的に成長する路線を、少なくとも国内的には歩み始めていました。(中略)

 第一次世界大戦によって、この第一のグローバル経済が破壊されてしまったあとの、分断されて不安定かつ不均衡な時代しか知らない者にとっては想像もしにくいことですが、この第一のグローバル経済では世界の各国・各地域がきわめて密接に結びつき、奇跡的ともいうべき円滑で円満で循環的な関係を生み出していました。物財の貿易、資本の輸出入、人の移動・移住はいずれもほとんど何の障壁もなくなされ、世界各地の経済は、植民地も含めて、きわめて順調に成長し続けていました。しかも、世界の貿易・海運・金融・保険を安定的に成り立たせるために世界は海底電信網で結びつけられ、各地の情報は現在と同様に瞬時に世界の人びとの間に行き渡っていました。(中略)

 しかし、経済がますますグローバル化するということ、言い換えるなら、国際分業がますます深化するということは、リカードの説に従うなら、貿易に参加するどの国もますます富み栄えることを意味しますが、それは同時に、どの国も比較優位業種に特化し、比較劣位業種を捨てることを意味します。つまり、国際分業が深化し、かつ国内のすべての業種・地域が繁栄するということは論理的にありえず、どの国も、比較劣位業種とそれが立地する地域は衰退せざるをえないという苦難を経験しました。また、比較優位を得るためにダンピング(国内の高価格で外国向けの低価格輸出を可能にすること)など過剰な価格競争に陥ることで、輸出産業でさえ苦難を経験しました。こうして、国際分業の深化にともなって、どの国も、繁栄の中の苦難を内側に抱え込むことになります。全体として世界経済も自国経済も繁栄傾向にあるのに、なぜ、自分の業種・地域は苦難を味わわなければならないのかという問いは、殊に有権者が増え、民主化言論の自由が増進している状況では、多くの人びとを納得させる何らかの答えないしは解釈を必要としました。

 しかし、第一のグローバル経済を肯定的に捉える自由貿易賛美論者は、グローバル経済の円満な発展ゆえに、今や国境も関税も意味を失った過去の幻影に過ぎず、まして戦争など起こるはずもないと楽観的に考える自由主義的な平和主義を唱えました。彼らは世界経済全体の繁栄を賛美することはしましたが、そのことは逆に、繁栄の中で必然的に各業種・各地に発生せざるをえなかった苦難の原因を明らかにするのを怠り、またそうした苦難への対処も怠るという特徴的な態度も示していました。こうした自由貿易賛美論は、実際に苦難を経験している人びとにとっては、それこそが幻影の妄論にすぎず、彼らはむしろ、諸種の保護主義ナショナリズムに魅了されるようになったのです。(中略)

 保護主義への転換は相手国の心理に影響を与え、相互に敵意や不信感を醸成する原因となりました。

 19世紀末以降のイギリスでは、自国市場にドイツ製品が氾濫しているという『ドイツの(経済的)侵略』という認識が作用しており、E ・ E ・ウィリアムズが1896年に発表したパンフレット『ドイツ製』によって、イギリス産業がドイツ製品の進出によって苦境に追いやられているとの言説が広がります。比較劣位で構造不況に陥った金属加工業や小間物製造、印刷などの業種とその立地地域では、ドイツの不公正貿易によって、イギリスが当然享受すべき利益が損なわれているとの認識が徐々に強まったのです」(小野塚 知二『経済史』から引用・紹介)。

 

 そうした煮詰まりの結果、「7千万人以上の軍人(うちヨーロッパ人は6千万)が動員され、技術革新と塹壕戦による戦線の膠着で死亡率が大幅に上昇し、ジェノサイドの犠牲者を含めた戦闘員900万人以上と非戦闘員700万人以上が死亡し、史上最大の戦争の一つとなった第一次世界大戦が勃発した。この戦争は多くの参戦国において革命や帝国の解体といった政治変革を引き起こした。終戦後も参戦国の間に対立関係が残り、その結果わずか21年後の1939年には第二次世界大戦が勃発した」(Wikipedia)。 

 ―― 19世紀のイギリスとドイツ。21世紀のアメリカと中国。さて・・・

断章220

 「1990年代以降、世界では、『グローバル化』とか『グローバル経済の時代』という言葉が何らかの願望や期待も込めて頻用されていますが、現在も、国家と国境は厳然として存在し、いかに『自由貿易』の掛け声を叫んでも、関税は原則として廃止されていません。通商政策も通貨政策も各国がその主権を保持しています。したがって、わたしたちは、いまでもなお、『国民経済』という言説・政策・認識枠組みの中に生きているのだということができます。

 とはいえ、この一国的な認識方法のみを過度に強調し、重用するなら、近代の市場経済・資本主義が世界体制という形をとって確立したことの意味を見失うことになります。

 欧米諸国の四方八方への進出によって、暴力や軍事力もともないながら、世界が一つの資本主義体制ヘとまとめ上げられる動きは、19世紀中葉に日本の開港と自由貿易体制への編入によって完成しました。

 資本主義の世界体制は、1870年代以降は、地理的な拡張はほぼ一段落して、次に内的に深化する傾向を見せます。(中略)

 1873年以降のいわゆる『大不況』期(ヨーロッパ大陸諸国の産業革命と鉄道建設が一段落したことにともなって発生した相対的な低成長期)、殊に1879年恐慌以降になると、大陸諸国では再び関税を引き上げて、『保護主義』に回帰する動きも見られ、報復的に相手国も関税を引き上げるなど『関税戦争』ともいうべき事態も始まりましたが、関税率はアメリカ合衆国などの禁止的な保護関税政策をとる国と比べれば概してはるかに低く、また二国間条約で維持された最恵国待遇条項が網の目のように主要国を包み込んでいたため、保護主義への回帰と関税戦争はヨーロッパ内の貿易・資本移動・移民を減少させる効果はなく、ヨーロッパ諸国を中心として世界はますます深く、貿易と資本移動と移民とで相互に結びつくようになり、また、そうした条件のもとで、1890年代以降の大不況からの回復過程での着実な経済成長が可能となりました。こうして19世紀末から第一次世界大戦開戦(1914年)までの四半世紀の世界経済を、第一のグローバル経済と呼ぶこともあります。

 この第一のグローバル経済は、1990年代以降、わたしたちが見てきた第二のグローバル経済に比べるなら、はるかに安定的で(国際金本位制によって貨幣価値も為替相場も高度に安定していて)、循環的で(多角的決済システムによって、特定の国に赤字・黒字が溜まるのではなく、三国以上の間で赤字・黒字が循環的に相殺されて)、総じて円滑かつ円満な世界経済のあり方でした。むろん、それが、帝国主義国による植民地支配という負の側面を帯びていたことを見落とすわけにはいきませんが、この第一のグローバル経済の時期は、植民地・半植民地も含めて、世界全体が着実に経済発展した時代でもあります」(小野塚 知二『経済史』を抜粋・再構成)。

 

 ―― 戦後日本の学生運動の高揚した時代は、日本の高度経済成長の時代でもあった。それはまるで、1848年『共産党宣言』から1871年パリ・コミューンへと高揚した時代が、19世紀の欧米の経済成長の時代でもあったことと同じである。