断章81

 『検定版 高等学校韓国史』(2013年初版・明石書店)の「 Ⅴ 近代国家樹立運動と日本帝国主義の侵略」の各節は、「1.韓半島を占領するために戦争が起こる 2.中国、民主共和国をたてる 3.東学農民運動が起こる 4.近代的改革を推し進める 5.近代主義国家をうちたてようとする 6.経済侵奪に立ち向かう 7.国権を奪われる 8.抗日義兵運動が起こる 9.愛国啓蒙運動を展開する 10.近代社会へ進む 11.近代文物の受け入れで生活が変わる」である。

 このⅤ章の最初の見開きに、洋装の正装をした高宗や東学党幹部や義兵の写真とともに、独立門の写真がある。

 独立門に関するエピソードがある。

 「独立門の前で『この独立って、どこの国からの独立?』と質問すると、(韓国の)多くの若者はそんなことも知らないのかと憤慨しながら『日本からに決まっているだろう』と答えます。そう答えたら、『でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは1897年と書いてあるじゃないですか。韓国併合1910年ですし、光復(独立)は1945年でしょう? だからこれは日本からの独立よりもっと前に建てられたものですね』というと、彼らは絶句して思考停止してしまうんですね」。「それは『有史以来、朝鮮半島の国は独立国家であった』というデタラメが学校で教えられているからです」(『困った隣人 韓国の急所』)。

 独立門の説明板は、今どうなっているだろうか。

 

 さて、『検定版 高等学校韓国史』「 Ⅴ 4. 近代的改革を推し進める」では、「甲午・乙未改革は、開港後に続けられた近代的改革に対する要求を吸い上げ朝鮮の全分野にわたって行われた。これにより封建的身分秩序が崩れ、近代社会に進み出ることができる制度的な土台が整えられた。・・・日本の干渉を排除できなかったという限界があった」という。

 史実ではない。「朝鮮は自立的内包的発展ができたのに日本帝国主義の収奪で妨げられた」という民族主義シナリオによる完全に“逆立ち”した記述である。実際は、『検定版 高等学校韓国史』の177ページで列挙されている甲午・乙未改革は、「日本の干渉」(日本の政治的軍事的プレゼンス)があってこそ可能だったのである。

 

 1894年以降の「改革法令は日本公使が主導したもので、まもなく到着した日本人『顧問』が仔細に調整した。日本は朝鮮式機構の複雑多岐にわたる悪弊と取り組み、是正しようとした。現在行われている改革の基本路線は日本が朝鮮にあたえたのである」(『朝鮮紀行イザベラ・バード)。

 この見解が正しいことは、日清戦争後の三国干渉と閔妃殺害後に日本の政治的軍事的プレゼンスが後退したら、朝鮮の悪弊に阻まれて、稟議されても発布されず、発布されても施行されず、施行されてもうやむやになることの多かった「甲午・乙未改革」がたちまち頓挫したことで明確である。

 

 清が敗退し、日本が三国干渉と閔妃殺害(乙未事変)で後退した後に、朝鮮で存在感を増したのはロシアである。高宗は、ロシアに“事大”する。高宗は、王宮から抜けだし、ロシア公使館に居を移した(俄館播遷)。

 「ロシア公使館に遷幸して以来国王が享受した自由は朝鮮にとっては益とならず、最近の政策は、・・・好ましくない」。「昔ながらの悪弊が毎日のように露見し、大臣その他の寵臣が臆面もなく職位を売る。国王の寵臣のひとりが公に告発されたときには、正式の訴追要求がなされたのに、その寵臣はなんと学務省副大臣になっている! (中略)国王はその王朝の伝統のうち最悪な部分を復活させ、チェック機関があるにもかかわらずふたたび勅令は法となり、国王の意思は絶対となった。そしてその意思は国王に取り入ってその不安や金銭欲につけこみ、私腹を肥やそうという下心のある者や、王宮脱出の際に助けてくれた側室の朴氏や厳氏の言うがままであり、国王が人の好いのをいいことに、難なく職位を得ては自分の一族にそれを売ったりあたえたりしている寵臣や、愚劣なへつらい屋のなすがままなのである。(中略)善意の人ではありながらも優柔不断な国王は、絶対的存在であるのに統治の観念がなく、その人柄につけこむさもしい寵臣のおもちゃであり、貪欲な寄生虫にたかられ、しかもときには外国の策士の道具になっている。そして常設しておくべき機関を壊すことによって政府の機能を麻痺させ、私欲に駆られた官僚の提案する、金に糸目をつけない計画を承認することによって、経済財政改革を一過的で困難なものにしている」(『朝鮮紀行』)。

 「朝鮮国内は全土が官僚主義に色濃く染まっている。官僚主義の悪弊がおびただしくはびこっているばかりでなく、政府の機構全体が悪習そのもの、底もなければ汀(ミギワ)もない腐敗の海、略奪の機関で、あらゆる勤勉の芽という芽をつぶしてしまう。職位や賞罰は商品同様に売買され、政府が急速に衰退しても、被支配者を食いものにする権利だけは存続するのである」。(同書)この“官僚主義”は、現代官僚制のものではなくて、アジア的王朝的なマンダリンなものである。

 

 「日本がその隆盛時に悪弊を改めるために行った試みは大部分が廃止された。国内は不穏で東学党にかわり『義兵』が出現した。地方長官職その他の職位を売買する有害きわまりない習慣は多少抑制されていたが、宮内大臣をはじめ王室の寵臣は破廉恥にもこの習慣を再開した。また国王自身、潤沢な王室費がありながら、公金を私的な目的に流用し、安全な住まいにおさまってしかも日本人その他の支配から自由になると、さまざまな面で王朝の因習に引き返してしまった」(同書)というのが、史実である。

断章80

 10月3日、ソフトバンクグループ(SBG)の株価は、年初来安値をつけた。7月29日に5,886円の高値をつけたが、10月3日には4,071円の安値をつけた。

 株の解説者によれば、「SBGが出資したシェアオフィス大手ウィーカンパニーの新規株式公開(IPO)の延期が株価下落のトリガー」だそうである。「そこで、ウィーの最高経営責任者(CEO)のアダム・ニューマン氏がCEO職を退くよう大株主のSBGが求めている」そうである。

 「SBGはウィーカンパニーに累計で100億ドル超を出資してきた。SBGのロナルド・フィッシャー副会長がウィーの取締役に就いている。ウィーの想定企業価値はSBGが1月に出資した際に470億ドル(約5兆円)とされていたが、足元のヒアリングでは7割減の150億ドル程度まで減る見通し」だそうである。

 7割減! 結局、ニューマンはCEOを辞めた。

 

 しかし、SBGが「ウィーの企業統治や赤字脱却への道筋が見えないまま事業拡大を進める経営戦略を疑問視した」というなら、「いったいどの口が言うか」という話である。

 なにしろ、「通信子会社のソフトバンクの上場が承認されたソフトバンクグループ。親会社は投資会社の色合いを強め、孫正義会長兼社長(61)は名実ともに『世界の買収王』となる。だが、有利子負債は18兆円にふくらみ、格付けは投機的水準というのがもう一つの顔だ」(経済誌)ということは、周知のことである。

 SBGという会社は、「困ったちゃん」である。上場会社による子会社の証券市場への上場は、大衆投資家の利益を損なう「親子上場」として問題視されたが、上場案件を確保したい証券取引所、大きな手数料がほしい証券会社、大量のCMがほしいマスコミの弱みにつけこんで、通信子会社ソフトバンクの上場をごり押しするような会社である。

 証券アナリストなるものが、「SBGには中国・アリババの株式含み益などがあるから問題ない」と言っているが、中国の巨大民間IT企業への中国共産党の支配・介入は強まるばかりである(つい先日、アリババの創業者も退陣してしまった)。

 世界的な株高が継続するうちは安心かもしれないが、先のことは分からない。

 

 SBGは大博打をしている。世界最大規模の米運用会社、オークツリー・キャピタル・マネジメントのハワード・マークス共同会長は言う。「一種のバブルだ。(SBGの)ビジョンファンドは非常に前のめりで、とても気前の良いマネーの出し手といえる。歴史的にみて、ベンチャーキャピタルファンドの大きさはせいぜい数10億ドルだ。ところがビジョンファンドは約1,000億ドルのお金を動かし、いとも簡単に出資しているようにみえる。マーケットはリスクに慎重で、規律が働く場であるべきだ。彼らが巨大なマネーをハイテク業界で安全に賢く投資できるのか。そのうち分かるだろう」(2019/6/22 日本経済新聞)。

 そのうち分かるだろう・・・、なにもかも。

 

【参考】

 「最近注目された親子上場は、ソフトバンクグループ(以下SBG)による通信子会社(ソフトバンク)の新規公開だ。

 親子上場が大手を振ってきたのは、経営者や投資家に合理的な意思決定や判断の能力が欠如していたからだろう。企業側として、ある事業に成長性と高い利益率が見込めるのなら、それは宝物である。その事業の権利の一部といえども、外部投資家に売却するのは正しくない。

 では、ある事業を子会社として分離し、その株式の一部を外部投資家に売ったとして、その背景は何か。当該事業が宝物ではなくなったか、他にもっと有望な宝物が見つかったからだろう。しかし、そう判断したのなら、部分的な売却に対する説明が難しい。完全売却がより望ましい。

 もっとも、魅力度の低下した事業の一部分を子会社として残すのは親会社にとって保険となりうる。魅力度が高いと考えた新規事業の成果が芳しくなければ、残しておいた子会社の利益を強引に吸い上げればいい。投資家側からすれば、そんな子会社株式とは残りかすか二番手事業でしかない。しかも部分的に保有させられる子会社の経営権を肝心な局面で剥奪されてしまうのなら、リスクが高すぎる。

 以上、親子上場には、企業側にはメリットが残りうる。投資家側にはデメリットしかない。そんな上場制度を許してきたのは、投資家がきわめて従順だったからでもある。

 さらにいえば、政府もまた親子上場制度のメリットを享受してきた。国有事業の民営化において、親子上場を利用してきたのは周知の事実である。そもそも、上場した親会社の経営権さえ政府が掌握している。投資家としては、政府の利益が優先されるリスクを強く意識せざるをえない。

 親子上場の本質とは、株主総会という最高意思決定の場において、一般投資家が影響力を発揮できないことにある。社外取締役の人数を含めた取締役会の構成ではなく、親子上場そのものを許すかどうかが問われている」(2019/4/19 日本経済新聞コラム)。

 

【補】

 まるで「憂国の志士」のようなもの言いをする企業人がいる(しかも、その会社は時にブラック企業とみなされる)。金儲けが上手いからといって、政治的発言内容が正鵠を得ているとは限らない。しかも、直接的な社会貢献では、XジャパンのYOSHIKIに及ばなかったりする。

 

 それはさておき、ソフトバンクグループ(以下SBG)だが、「財務省は、SBGが用いたM&A(合併・買収)に絡んだ節税策を防止する方針を固めた」そうである。

 「同一グループ内の資本取引で実態に変化がないにもかかわらず巨額の赤字を意図的につくり出して、ほかの部門の黒字と相殺して法人税を減らす手法を認めない。予期せぬ大規模な節税につながった制度の抜け穴をふさぐ。財務省が問題視しているのは、子会社などが中核事業を放出して企業価値が落ちた状態にしてから売却し、簿価と売却額の差だけ赤字を発生させる仕組みだ。このため、子会社の中核事業を手放す際には簿価も目減りさせるルールを軸に検討する。子会社を売却しても簿価と売却額の間に差がなくなり、意図的に赤字をつくれなくなる。

 与党の税制調査会での議論も踏まえて、2020年度の税制改正大綱に関連法令の見直し方針を盛り込みたい考えだ。

 SBGは買収したアーム・ホールディングス(HD)と、その中核事業を担う子会社の「アーム・リミテッド」に関する資本取引で大規模な節税を実施した。開示資料などによると、SBGは18年3月にリミテッド株の4分の3をアームHDから配当という形で吸い上げた。これにより、アームHDの実質的な価値は大きく目減りした。

 SBGは買収時より価値が大幅に落ちたアームHD株の8割弱を同じく傘下にあるソフトバンク・ビジョン・ファンドなどに売却して赤字を発生させた。この赤字をほかの事業で生じた黒字と相殺し、SBGの法人税負担はゼロになった(引用者注:SBGの純利益は1兆4千億円)。中核事業のアーム・リミテッドは親会社が変わったが、SBGの傘下にあることに変わりない。

 一つ一つの取引には違法性はなく、制度の抜け穴となっていた。国税庁からの相談を受け、財務省は今夏ごろから対策の検討を始めていた。財務省は意図的に赤字をつくりだすことを問題視している。

 一部有識者の間では、包括的に税逃れを制限する規定をつくるべきだという意見もあった。こうした規定は一般的租税回避防止規定(GAAR)と呼ばれ、英国やインドなども導入している。ただ発動の判断が難しいこともあり、各国当局もまだGAARを使いこなせていない。企業側からは、税務当局の出方が読みづらくなり、予期しない追徴課税を受ける可能性も高まるとして慎重な声も多い。財務省は現段階でGAARの検討に踏み込まず、個別の節税策を封じることにした。」(2019/10/20 日本経済新聞

 孫 正義は、トランプ大統領、サウジ皇太子、韓国サムスン御曹司などとの絡みにみられるように政商的な行動が得意である。

 節税封じの「花火」は上がったが、さて上空で開くかどうか? 「パスッ」と音だけに終わるかどうか見届けよう。

 

【補】

 「ソフトバンクグループ(SBG)は10月23日、企業や個人事業者にオフィスを貸し出すシェアオフィス『ウィーワーク』を運営する米ウィーカンパニーに追加の金融支援策を発表した。同社の既存株主から株式を買い取るなど総額95億ドル(約1兆円)を投じる。

 ウィーカンパニーはSBGなどが作った10兆円規模のファンドなどから累計100億ドル(約1兆800億円)超の出資を受け、それを元手に事業を拡大。一時は企業価値が470億ドル(約5兆円)と推定され、4月末にはIPO(新規株式公開)に向けた手続きを開始したと発表した。だがそれに前後して、ビジネスモデルの将来性やずさんな経営を問題視する声が投資家などから噴出。IPOは延期され、資金繰りが悪化しているとの指摘も相次いでいた。

 ウィーカンパニーの株式公開で巨額の利益を得るはずが、逆に経営再建への追加支援を余儀なくされた形のSBG」(2019/10/29 日経ビジネス)。

断章79

 イザベラ・バード(長いつきあいになり、もはやディア・フレンド? 笑)は語る。

 (朝鮮の)「上流階級は愚かきわまりない社会的義務にしばられ、無為に人生を送っている。中流階級には出世の道が開かれていない。エネルギーをふり向けられる特殊技能職がまったくないのである。下層階級はオオカミから戸口を守るのに必要なだけの労働しかせず、それには十二分な理由がある。首都ソウルにおいてすら、最大の商業施設も商店というレベルには達していない。朝鮮ではなにもかもが低く貧しくお粗末なレベルなのである。階級による特権、貴族と官僚による搾取、司法の完全なる不在、労働と少しも比例しない収入の不安定さ、いまだ改革を知らない東洋諸国の政府が拠りどころとする最悪の因習を繰り返してきた政府、策略をめぐらすどろぼう官僚、王宮と小さな後宮に蟄居したせいで衰弱した君主、最も腐敗した帝国との緊密な同盟関係、関係諸外国間の嫉妬、国じゅうにはびこり人々を恐れさせる迷信、こういったものがこぞって力を存分に発揮し、朝鮮をわたしが第一印象としていだいたような、資源などなにもなくうんざりするほど汚らわしい状態にまで落ちぶれさせたのである」(『朝鮮紀行』)。

 「これまでわたしは最終的に食いものにされるのは農民層だといやになるほど繰り返してきた。(中略)・・・働いた分だけの収入を確実に得られるあてがまったくないため、農民たちは家族に着せて食べさせられるだけの作物をつくって満足し、いい家を建てたり身なりをよくしたりすることには恐怖をいだいている。無数の農家が地方行政官や両班から税を強制取り立てされたり借金を押しつけられたりして年々耕作面積が減り、いまや一日三度の食事をまかなえる分しか栽培していない。搾り取られるのが明々白々の運命である階層が、無関心、無気力、無感動の底に沈みこんでしまうのはむりからぬことである」(同書)。

 「朝鮮じゅうのだれもが貧しさは自分の最良の防衛手段であり、自分とその家族の衣食をまかなう以上のものを持てば、貪欲で腐敗した官僚に奪われてしまうことを知っているのである。官僚による搾取が生活の必要物資をまかなう分にまでも不当におよび、どうにも耐えられなくなってはじめて、朝鮮人は自力で不正をただす唯一の手段に訴えるのであり、これは清国の場合と似ている。その手段とは許すべからざる醜悪なその郡守を追い払ったり、場合によっては殺してしまうことで、最近評判になった事件では、郡守の側近をまきを積んだ上に乗せて焼き殺すというのがあった」(同書)。

 「このような動きは朝鮮半島では毎年春になると見られるできごとではある。二、三の地方で官僚による搾取に怒った農民が蜂起し、多かれ少なかれ暴力を用いて(死者が出ることもある)気に入らない役人を追い払ってしまうのである。処罰はめったに行われない。国王はべつの官僚を送り、あらたなその役人はまた農民から搾取し、搾取ががまんの限度を越えると実力行使で追い払われ、ふたたびふりだしにもどる」(同書)。

 

 朝鮮にとっては、ほとんど無為の10年が過ぎた1894年、甲午農民戦争東学党の乱)が起きた。「全羅道古阜郡で郡守が水税の横領を起こし、その横領に対して全羅道観察使に哀願を行った農民が逆に逮捕される事件が起きた。この事件により、東学党二代目教祖の崔時亨が決起し、甲午農民戦争に発展した」(Wiki)。

 「この民乱の指導者たちを含め農民の多くが東学に帰依していたことから、この東学の信者を通じて民乱が発展してゆく。(中略)1894年5月末には道都全州を占領するまでに至った。これに驚いた閔氏政権は、清国に援軍を要請。天津条約にもとづき、日清互いに朝鮮出兵を通告し、日本は公使館警護と在留邦人保護を名目に派兵し、漢城近郊に布陣して清国軍と対峙することになった」(同)。

 「同じ年に、日英通商航海条約を結び、日本は列強の一角を味方につけることができたので、日本は清に対して宣戦布告をして、日清戦争が勃発しました。ちなみに、このイギリスと日本が結んだ条約によって、領事裁判権はなくなり、関税自主権が一部回復し、片務的最恵国待遇も解消され、不平等な関係が少し無くなりました」(不詳氏)。

 日本は日清戦争に勝利して、下関条約が結ばれた。

 

 『検定版 高等学校韓国史』は、何かといえば「外勢の経済侵奪で~」と言うが、日本は、関税自主権がなく、領事裁判権、片務的最恵国待遇の下でも、当時の世界で大国とみなされていた清国と戦える体制を歩一歩整えたのである。

 ところが、朝鮮では、「最近守令が官職を旅館のように考え、帳簿はすべて衙前に委任してわいろを受けとることに専念している。ひどい者は民にわけもなくごり押して金を奪う。家や土地の税金を増やし、場市や入り江に税を新設してついには民が暮らしていけなくなる。最近民が食べていくのも難しくなったのは、土地と家にかけられた税金が毎年増えるからだ。・・・民乱があちこちで起こるのはすべてこのためで、三南が最も激しい」(明石書店刊『検定版 高等学校韓国史』168ページ:『備辺司謄録』1892.1.27)。

 しかも、(繰り返すが、前記にもあるように)「近代的産業の保護育成のための確固たる意志が不足し、十分な財政および有能な実務層」も皆無だったことが問題なのだ。

 

【参考】

 「東学は、1860年慶尚道慶州の没落両班崔済愚(チェジュウ)が創始した天人一如を宗旨とした『朝鮮教』であった。1860年前後に高まっていた社会的危機感を受け、民衆的基盤に拠る啓示として現れた。初代教祖は異端の罪で1864年に処刑された」(萬 遜樹)。

 「二代目教主だった崔時亨は1898年3月、江原道で捕らえられ、同年6月、処刑された。東学党教祖は孫秉煕が引き継ぎ、1905年12月『天道教』を宣布した。(中略)2010年代現在、韓国には天道教の教会がおよそ100ヶ所あり信者数は10万人を数える。また北朝鮮には280万人の信者がいるとされ、天道教青友党という政党が朝鮮労働党衛星政党として存在する」(Wiki)。

 1921年竣工のソウルの天道教中央大教堂の設計は、日本人。

 

【参考】

 「韓国・李首相は2019年5月11日、ソウルの光化門広場で開かれた第1回東学農民革命記念式に参加し、記念演説を通じて『東学農民革命は韓国5,000年の歴史で最も長く、最も広い地域で、最も多くの血を流した民衆抗争だった』と明らかにした。

 李首相は『内容や規模でも西欧の近代革命に決して引けを取らない』とし、東学農民革命が韓国で最初の反封建民主主義運動、最初の近代的改革運動、最初の反外国勢力民族主義運動だったと意味を付与した」(韓国紙)。

 

【参考】

 「同時代の人々からは『邪教徒』(黄玹)『妖鬼』(申采浩)『悪民』(崔益鉉)と言われ、あやしげな反社会的団体とみなされていた。外侵に抵抗した実績はとくになく、のちには日本に接近し、日本の浪人集団『天佑侠』の支援を受けている。政府の圧迫から逃れる方便だったともいうが、東学党を母体に一進会が生まれ、教団幹部がその指導部に横すべりしたことは、まぎれもない事実である」(『韓国「反日主義」の起源』)。

断章78

 「北朝鮮」が文在寅(政権)にいらだつ理由

 

 先日の韓国紙は、「北朝鮮金正恩氏の口が荒くなった。韓国への誹謗(ヒボウ)はもちろん、脅威性発言まで生の声で吐き出している。文在寅大統領を狙って暴言を吐く場合がとりわけ増えた。(中略)

  金正恩委員長の文大統領を責め立てる発言は言葉だけで終わらなかった。文大統領の8・15光復節祝辞翌日、北朝鮮は新型戦術地対地ミサイル2発を日本海に発射した。先月25日、KN-23ミサイル2発をはじめ、6回連続で挑発を繰り広げたが、8・15祝辞の一日後のミサイル発射はメッセージに他ならなかった。(中略)

 金正恩委員長が決心して文大統領に火ぶたを切ったのは4月12日最高人民会議施政演説だ。当時、金委員長は『南朝鮮当局は様子を見ながら右往左往して多事な行為を催促し、差し出がましい仲裁者、促進者の振舞いをするのではなく、民族の一員としてまともな精神状態を持って自身が言いたいことは堂々と言いながら民族の利益を擁護する当事者にならなければならない』と主張した。(中略)

 一部ではハノイ・ノーディール以降南北関係と韓半島情勢を管理するための南北の水面下での接触や非公開特使派遣の過程で何かがあった可能性も提起している。北朝鮮から具体的な要求があった公算も大きいということだ。金正恩委員長としては昨年、3回も南北首脳会談に応じ、特に9月平壌首脳会談の場合、大規模のパレードと15万群衆を動員した文大統領演説など『スケールの大きい』贈り物を与えたと考えている。

 匿名を求めた北朝鮮専門家は『6・15共同宣言当時4億5000万ドルの北朝鮮への秘密送金や10・4宣言の大規模のインフラ支援合意のような前例をあげてある種の相応のカードを水面下での接触過程で文在寅政府に打診したかもしれない』と指摘した」と伝えた。

 

 上記の前例とは、「2000年6月、初の南北首脳会談を控え、北朝鮮に4億5000万ドルを秘密裏に送った事件は、韓国国民だけでなく西側諸国に大きな衝撃を与えた。金正日との会談を対価にした天文学的な現金提供というとことだけでなく、対北朝鮮情報機関である国家情報院とその責任者が出て不法両替所役を果たしていたという点で国民から批判が噴出した。米議会調査局(CRS)が報告書を通じて疑惑を提起すると、青瓦台と政府が積極的にウソの説明をして事態を悪化させた。結局、ノ・ムヒョン政権が北への送金特別検査を行うほかはない状況になり、林東源元国家情報院長ら4人が大法院での有罪が確定した。

 金を受け取った事実を言い逃れて『ねつ造劇』と主張していた北朝鮮も、その時初めてそっと尻尾を下ろした」(2019/7/12 中央日報)あの一件である。

 

 「北朝鮮」は、韓国・文在寅にいらだっている。鍵になる“言葉”がある。上記にある「民族の利益を擁護する当事者にならなければならない」という金正恩の発言である。

 つまり、「我々は同じウリなんだから、アメリカの顔色ばかりうかがわずに、いかなる手段を使ってでもワシントンを動かし制裁解除を引き出せ。約束した(秘密の)資金援助を早くよこせ」と言っているのである。

 

 韓国・文在寅大統領もさぞかし頭が痛いことだろう。一応、表向き、「北朝鮮経済制裁が維持され、世界が見ている中で、ワシントンを動かすことも、秘密の資金援助もかなり困難だからである。それとも、米議会調査局(CRS)がまた新たな疑惑を提起する日が来るだろうか。

 

【補】

 「米国の元政府高官が『北朝鮮はここ1年間、韓国左派へのイデオロギー攻勢で大きな成功をおさめた』と指摘した。2018年4月の南北首脳会談をはじめとして、韓国国内の左翼勢力に対話攻勢を仕掛けることで彼らの民族感情を刺激し、北朝鮮に同調する勢力として引き入れることに事実上成功したということだ。

 ブッシュ政権で東アジア太平洋担当の筆頭国務次官補を歴任したエバンス・リビア氏は10月17日、米政府系放送ボイス・オブ・アメリカVOA)に出演した。リビア氏は北朝鮮が韓国に対して露骨な暴言などを使っていることについて『北朝鮮としては韓国を外交的、政治的、イデオロギー的に(利用する)都合の良い位置に置いたことを把握し、蔑視しているということだ』とした上で、上記のように述べた。北朝鮮がいかなる行動をとったとしても、韓国は無条件でそれに従うため、かえって韓国を無視するようになったというのだ。

 リビア氏は『このような(イデオロギー攻勢の)成功は、韓国国内における北朝鮮に同調する動きや反応を北朝鮮が当然視するレベルにまで達した』『北朝鮮は自分たちよりも韓国のほうがより対話や協力を願っていることと、北朝鮮がどんな行動をとっても韓国は常に手を差し出し、協力を求めることを確信するようになった』と指摘した」(2019/10/19 韓国紙ワシントン特派員)。

 

【参考】

 「ある体制の体質を変えるには、身を捨てる覚悟の批判者が出なければならないのである。だが北朝鮮にそういう人物が出てくる気配は全くない。金日成父子はここ3、40年の間に、まつろわぬ者を徹底的に剔出して、超管理体制を作り上げてきたからである。したがって、現在のままで北朝鮮に援助をすれば、悪しき体制を延命させるだけで、東アジアはこれまで通り、不安定なままに残ることになる」(『韓国はなぜ北朝鮮に弱いのか』)。

 

【参考】

 「ビンセント・ブルックス元韓米連合司令官は15日『北朝鮮が“自主”の概念を強調し、韓米同盟を弱体化させるのを阻止すべきだ』と呼び掛けた。ブルックス氏はこの日、大韓民国陸軍協会がソウルで開催した『韓米同盟、このままでよいのか』をテーマとするセミナーで『主権と(同盟と)の共同利益の間でバランスを取ることが、韓米同盟の直面している大きな挑戦だ』とした上でこのように述べた。

 ブルックス氏は『北朝鮮が“米国から独立的になれ”と韓国に圧力を加える意図を持っていることを懸念している』『私はGSOMIA(韓日軍事情報包括保護協定)もこれと関係があると信じている』などの見方も示した。韓国政府によるGSOMIA破棄の決定に、北朝鮮の意向が作用している可能性を示唆したのだ」(2019/10/15 韓国紙)。

断章77

 「世継ぎ問題などで興宣大院君と権力争いをしていた閔妃(第26代・高宗の妃)は、1873年、興宣大院君を追放し、大院君とその一派を失脚させた。そして自分の一族(閔氏)を高官に取り立て、政治の実権を握った。(中略)興宣大院君は隠居させられたが、閔妃を国家存続を脅かすものとして政局復帰、閔妃追放の運動を始め、それが朝鮮末期の政局混乱の一因にもなった。両者の権力闘争は敵対者を暗殺するなど熾烈なものとなった。(中略)双方で暗殺が続いて国内が乱れた。」(Wiki

 「興宣大院君失脚以降、閔妃は西洋に対しては好意的な態度を示し、鎖国・攘夷政策を捨てて、開国政策を取り、日朝修好条規をきっかけとし、朝鮮の門戸開放を進めた。」(Wiki

 1876年、ともあれ開国した朝鮮は日本と清に外交使節や留学生や視察団を送り、情報収集を行なって近代化策を学び始めた。また、日本の要求で1876年に釜山、1880年に元山、遅れて1883年に仁川を開港した。

 なお、『検定版 高等学校韓国史』は、「 Ⅳ 7. 開港後、社会・経済が変化する」で、「開港場で活動する日本商人は日本貨幣の使用権、輸出入商品の無関税、領事裁判権などを認めた不平等条約を土台に略奪的な貿易活動をした。」と決めつける。だが、ここには一方的な“略奪的”という宣告があるだけである。

 教科書がすぐ後で、「(朝鮮の)地主は販売する米を確保するために小作地の移動や小作料の引き上げなど、小作条件を悪化させ、米を売って得た利益で土地を増やしていった(引用者注:つまり、地主は儲けていた)」。政府の開化政策は、「近代的産業の保護育成のための確固たる意志が不足し、十分な財政および有能な実務層がなく、期待したほどの効果を得られなかった」と言うのは、語るに落ちるであろう。

 日本は欧米との不平等条約下(不利な条件下)においても着実に経済発展へと踏み出した。なぜ韓国が日本のような道筋をたどることができなかったのか、それは以下で明らかになる。

 

 「閔妃は大院君の改革を差し戻すかのように、儒学者の支持を得る為に財政的に弊害となる書院を復設させ、各党派及び有能な人材を官職につけさせる人事行政をやめさせ、閔妃の重用する人物が要職に就くことになったので、大院君の政策によって官職に就いた者は官職を追われ、大部分の両班は失望し、これに対し、成均館儒生及び八道の儒生は王宮に押し寄せ、閔妃を非難する」「ちなみにこの頃の閔妃は、・・・元子(世子の冊封前の称号)を出産したので、巫堂ノリという儀式などを毎日行わせ、その額は国家予算の数倍にも及び・・・、各省庁の公金を使用し、貪官汚吏どもは競って閔妃に財物を献上しており、おかげで国庫は破綻」(Wiki)した。

 

 1882年には、興宣大院君らに扇動された軍人・民衆が、壬午軍乱と呼ばれる暴動を起こした。

 なお、『検定版 高等学校韓国史』は、「開港後、日本に米や豆が大量流出して米価が暴騰したため生活が苦しくなった下層民までがこれに加わり」と、当時の米価暴騰を日本の責任にしているが、この当時、日本・朝鮮間の貿易はまだ限られたものだったので(それは、明石書店刊・当該教科書153ページにある朝鮮の「輸出入額と重要出入品の割合」をみても明白)、こじつけである。王朝の放漫支出により破綻した国家財政を糊塗するための悪貨鋳造が、当時の米価高騰の原因である。

 「壬午軍乱は、清国軍が、乱の首謀者で国王の父・興宣大院君を拉致して中国に連行したことで収束した。復活した閔氏の政権は清国の制度にならった政治改革をおこなった。朝鮮はまた、清国軍3,000名、日本軍200名弱の首都漢城(現ソウル)への駐留という事態を引き受けざるを得なくなった」(Wiki)。

 しかも、「軍乱後に王宮にもどった閔妃は潜伏していた忠州で知り合った巫女を王室の賓客として遇し、厚く崇敬して毎日2回の祭祀を欠かさないほどであった。閔氏一族や政府高官も加わった祭祀は、やがてこれにかかる費用は莫大なものとなった。朝鮮全土の宗教者も王宮に集まってこれを占拠する状態となり、売官が再流行して朝鮮半島の政治はいっそう混迷の度を深めた」(同)のである。

 搾取は相変わらずである。「わかりやすく説明するために、南部のある村を例にとってみる。電信柱を立てねばならなくなり、道知事は各戸に穴あき銭100枚を要求した。郡守はそれを200枚に、また郡守の雑卒が250枚に増やす。そして各戸が払った穴あき銭250枚のうち50枚を雑卒が、100枚を郡守が受け取り、知事は残りの100枚を本来この金を徴収した目的のために使うのである」(『朝鮮紀行イザベラ・バード)。

 

 このような状況を見た急進開化派の金玉均らは、閔妃を追放しない限り朝鮮の近代化は実現しないとして、1884年に甲申政変と呼ばれるクーデターを実行した。親清派勢力(事大党)の一掃を図り、日本軍150名の援助で王宮を占領し新政権を樹立したが、袁世凱率いる清国軍1,300の介入によって3日で失敗した。

 『検定版 高等学校韓国史』は、「支援を約束していた日本軍は撤収してしまった」とさりげなくディスっているが、ウィキペディアによれば、「日本軍150名だけで清国兵1,300名と戦わざるをえなかった。しかし、日本兵は奮戦し、日本側の犠牲者は死者1名、負傷者4名であったのに対し、清国軍の戦死者は53名を数えた。多くの清国兵士は気勢をあげて威嚇するのみで、交戦を避けて王宮各所に放火、略奪行為に走った」のであり、衆寡敵せず、撤退したのである。

 

 朝鮮の近代化運動は頓挫し、高宗・閔妃たちの朝鮮は、あるときは清、あるときはロシアと、“事大主義”のまま時代に流されていくことになる。

 

【参考】

 「1894年、金 玉均は上海で刺客に暗殺された。金玉均の遺体は清国軍艦・威靖号で朝鮮に運ばれて凌遅刑に処されたうえで四肢を八つ裂きにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は威鏡道で晒された。」「凌遅刑とは、清の時代までの中国や李氏朝鮮の時代までの朝鮮半島で行われた処刑方法のひとつ。存命中の人間であれば、その肉体を少しずつ切り落とし、長時間にわたり激しい苦痛を与えて死に至らす処刑方法である」(韓流歴史ドラマも描きたくないだろうな)。

 「政変に参加した独立党員の身内には 『族誅』が適用され、従者や幼い子どもたちも含む家族が残忍な方法で処刑された」(Wiki)。

断章76

 李氏朝鮮末期は、韓国の『検定版 高等学校韓国史』の「 Ⅲ 朝鮮社会の変化と西欧列強の侵略的接近」「 Ⅳ 東アジアの変化と朝鮮の近代改革運動」に該当する。すでにこの時代、欧米人が宣教師や商人、旅行者として朝鮮を訪れ、朝鮮について書いていた。今、読んでいる『朝鮮紀行』(イザベラ・バード)もそのうちのひとつである。

 『検定版 高等学校韓国史』の「 Ⅲ 」には、『隠者の国・朝鮮』(アメリカ人牧師ウィリアム・グリフィスの著書。三部構成で記述されており、第一部は古代・中世史、第二部は地理・政治・社会・文化等、第三部は近代史である。1882年初版発行)からの引用が、3カ所ある。

 『検定版 高等学校韓国史』の著者たちは、「外国人が書いた韓国史の中で最も興味深く包括的な著述として評価されている」という。しかし『隠者の国・朝鮮』は、包括的ではあっても、「英仏独蘭語などで書かれた既存書、および日中の資料に依拠して書かれたものである」(Wiki)から、李氏朝鮮末期についての史料的価値は、自ら直に見聞したイザベラ・バードの『朝鮮紀行』よりも劣るのではないだろうか。

 ウィリアムは3回も呼ばれているのに、イザベラはお呼ばれ無しである。思うに、彼女の『朝鮮紀行』は、韓国人(朝鮮人)にとって内容が《センシティブ》(時々ツイッターで見かけるアレ)すぎるからではないだろうか。韓国教科書の著者たちは、《センシティブ》すぎる『朝鮮紀行』を生徒たちから遠ざけておきたいのだ。

 

 韓国は、「対日的な場での“言論の自由”がない国」である。

 「日本の統治によって、(朝鮮)民衆は初めて文明を経験し、幸福を手に入れた」と主張して、韓国政府によって有害図書指定された『親日派のための弁明』を書いたキム・ワンソプは、故・閔妃一族からの死者に対する名誉毀損裁判で罰金刑に処せられ(閔妃の死から100余年後に!)、激しい言論弾圧にさらされた。

 今、韓国の一部で話題(らしい)『反日種族主義』という著作への“反論”を「特別寄稿シリーズ」として韓国・ハンギョレ新聞が掲載しているが、「反日民族主義団体はすでに著者たちを告訴した(韓国の“躍動する民主主義”がどう反応するか、見ものである)。

 

 さて、『検定版 高等学校韓国史』の「 Ⅲ 朝鮮社会の変化と西欧列強の侵略的接近」の“まとめ”の「重要内容4」では、「農業や商工業に近代指向の動きがあらわれ、実学思想、西学、東学などが登場した。庶民文化の発達や民衆意識の成長も、朝鮮後期の新しい動向だった」という。まったく取るに足りない変化を針小棒大に評価している。なぜなら、後に、「朝鮮のこのような内包的発展を収奪によって妨げたのが日本である」という見解につなげるためである。

 しかし、事実は隠しきれない。「重要内容4」の舌の根も乾かないうちに、「重要内容5」として、「朋党政治が勢道政治に変質して社会矛盾が拡大し、各地で農民が蜂起した。」(つまり、朋党政治という目クソから勢道政治という鼻クソになった)と言うのである。

 「 Ⅲ の7. 興宣大院君、改革を断行する」では、当時の国王の実父である興宣大院君が摂政として登場して、勢道政治を正すべく様々な改革を実施したように書いているが、実際のところは、時代錯誤な王朝政治を復活しようとした(今度は鼻クソを耳アカにかえようとした)に過ぎなかったのである。

 興宣大院君の政治が浅はかで時代錯誤なことは、「対外政策にそれは明白となる。1866年以降、カトリック教徒への大弾圧を始めた。9名のフランス人神父が処刑され、8000人以上の朝鮮人信者が惨殺された。同年、アメリカのシャーマン号が通商を求めて平壌に、またフランス軍艦が報復に江華島に向かうが、それぞれを撃退する。これが『衛正斥邪』の思想である。正(=儒教)を衛(まも)り、邪(=異教)を斥(しりぞ)ける。中華の正統たる朝鮮を正としそれ以外を邪とし、華夷秩序を守ることである。ここから『攘夷』が出る。しかし、それ以上に致命的な問題は、客観情勢を峻拒している自己中心的な世界観である」(「朝鮮史」萬 遜樹)。

 しかも、アメリカやフランスが簡単に撤退したのは、「他の戦略地域(例えば中国)に比べて緊急性と重要性を優先的には感じていなかったからである」(同書)にもかかわらず、朝鮮の軍事的実力で撃退したと勘違いしたのである。

 その時代錯誤な政治は、内政においても馬脚をあらわし、興宣大院君は、焼失した景福宮を再建して王朝の権威を示そうとした。「これには、莫大な資金が必要になるので、願納銭や特別税を課し強制徴収して、毎日庶民を数万人動員して造らせ、人夫の為に、俳優、歌手、妓生などを呼んで慰問した。(中略)都城4大門を通過する際に通行料を取り、庶民からは、寄付金を出させ、當百銭などの貨幣を鋳造して、建設費を調達した。また材木などの材料は各所の霊園の木を伐採するなどした。・・・大院君は国家的権威の再建を徹底的に進めたが、その裏では、租税を横領したり、不当に税を課したり、売官売職などの貪官汚吏が蔓延り、當百銭は悪質貨幣になってしまった」(Wiki)。

 “改革を断行した”はずが、完全に元の木阿弥だった。

 

【参考】

 「朝鮮に対する日本の修好(開国)要求国書は、(朝鮮の)『華夷秩序』をはみ出す形式であるが故に拒否された。中国のみを『皇帝』とする華夷秩序では『天皇』は『日王』であったのだ。『日王』という呼称は、『華夷秩序』とは無縁なはずの戦後も、そして表音文字ハングルが全盛となり『皇』の漢字を気にすることのない現在でも一部で続けられている」(「朝鮮史」萬 遜樹)。

断章75

 中国は、ますます厚かましく行動するようになっている。

 「領有権論争をめぐって緊張が続く南シナ海の周辺で、中国が強気の行動を繰り返している。フィリピン国軍は8月14日、中国海軍の軍艦計5隻が7月と8月にフィリピンの『内海』に位置するシブツ海峡を無断で通航したと発表した。

 シブツ海峡は国際航行に利用されており、あらゆる国の船舶は沿岸国の平和や秩序を害さない限り、他国の領海を通告や許可なしで航行できる『無害通航権』を有している。ただし軍艦の場合は沿岸国に事前に通告するのが慣例で、中国はその慣例を守っていなかった。

 しかも、中国の軍艦はレーダーで探知されないよう自動識別装置のスイッチを切っていた上に、直線でなく曲線の航路を取ったことから『無害』とは言えないと、フィリピン国軍は主張している。

 中国の軍艦がフィリピン領海に通告なしで侵入するのは今回が初めてではない。7月22日には駐フィリピン中国大使のチャオ・チエンホアがロレンザーナ国防相に対し、軍艦が通航する場合は事前通告を行うよう中国海軍に指示する、と約束したばかりだった」(2019/8/22 ニューズウィーク誌)。

 

 「米国務省のオルタガス報道官は8月22日、声明で、中国がベトナムの主張する南シナ海排他的経済水域EEZ)で、石油やガス開発への妨害行為を続けていると指摘し、『深い懸念』を表明した。その上で、『中国の海洋紛争の平和的解決への取り組みに重大な疑問が生じている』と警告した。

 オルタガス氏は、中国が8月13日、政府所有の調査船に武装した船舶を同行させ、ベトナム沖の海域に展開したと説明。また、中国は過去数週間、東南アジア諸国連合ASEAN)加盟国の経済活動への干渉を繰り返し、外国の石油、ガス企業との提携を打ち切り、中国国営企業とだけ協力するように強要していると非難した」(2019/8/22 時事通信)。

 

 2019年9月22日付けの日本経済新聞・社説を読むべきである。

 「中国とロシアが軍事面の連携を強めている。両国には軍事的協力のアピールで米国をけん制する狙いがある。ただ、こうした動きは米国と中ロの緊張を高めるばかりか、北東アジアや日本の安全保障にも深刻な影響を及ぼす。強く警戒すべきだ。・・・中ロ両軍は6日間にわたってロシア南西部で大規模な軍事演習を実施した。・・・中ロの大規模な軍事演習は2年連続である。

 中国は2年前の共産党大会で中国軍の『現代化』を基本的に実現するメドを2035年とした。『世界一流の軍隊』をつくり上げる時期に関して、従来計画の21世紀半ばより15年も前倒しする重大な変更だった。

 南シナ海の軍事拠点化に代表される中国の軍拡志向は、米国の強い警戒心を呼び覚まし、対中圧力が強まる原因になった。技術覇権争いを含む米中貿易戦争がエスカレートした裏には、中国の習近平政権の強硬姿勢がある。

 中国は今夏、4年ぶりに国防白書を発表した。目を引くのは協力相手として唯一、国名を挙げたのがロシアだった点だ。昨秋、極東やシベリアで実施した軍事演習『ボストーク(東方)2018』への中国軍の初参加にも触れた。

 『強軍路線』を掲げる習政権は、軍事的応用も可能な技術開発を巡る中ロ協力も視野に入れている。中国の李克強首相は、先の中ロ定期首相会談で人工知能(AI)、ロボットなどハイテク分野の協力推進で合意した。

 長い蓄積があるロシアの軍事技術に中国のハイテク開発の能力が加われば、米国にとって大きな脅威になり、緊張が一気に高まりかねない。(中略)

 一連の動きは日本の安全保障環境にも大きな影響がある。中ロ両軍の空軍機は日本海東シナ海の上空で初の合同パトロールを実施した。日本としては重大な変化の背景を十分、分析し、同盟国である米国と緊密に連携しながら対策を立てる必要がある」。

 

【参考】

 「南シナ海では、中国と東南アジア諸国などが領有権を争っている。中国が7つの礁を人工島に変え、軍事拠点化を進めていることを各国は恐怖の目で見つめてきたし、フィリピンとは漁業や資源探査、軍事演習などをめぐっても紛争が絶えない。

 リード堆と、フィリピンが前哨基地にしているセカンド・トーマス礁ではこれまでも、中国船がフィリピンの軍艦や民間船舶を妨害してきたと、AP通信は報じている。

 しかもフィリピンが西フィリピン海と呼ぶ海域については、オランダ・ハーグの仲裁裁判所が2016年に、中国ではなくフィリピンの排他的経済水域だという判決を下している」(2019/6/14 ニューズウィーク誌)。